ここ最近の事件で「運転する年寄り」と「働いていない若者」の肩身は極限まで狭くなった。まぁ無職の肩身なんて元から狭いわけだけど、流石に犯罪者予備軍と決めつけるのはどうかと思う。
僕は2019年、人生3度目の無職からフリーランスという形で脱出できた感がある。ところが無職の肩身の狭さは実は今も続いているんだ。日本では。
東京郊外の住宅地でビーサン三十路男が昼間っからビール片手に鼻くそホジりながら散歩とかしていると、フリーランスだろうがなんだろうが下手したら通報されてしまう。実際にベンチに座っただけで通報されたってニュースを読んだし、正直な話、職質される。社員証とかないのにわざわざ職務を質問してくんなって話だ。美味しいビールの銘柄とか聞けよ。おまけに保険証すら持ってないものだから、これは確実に面倒くさいことになる。
祖国がそんな被差別民として僕を扱うなら、もう日本脱出して税金も年金も払わねーよ!バーカ!ってなるのは自然の流れだよね。
それにしても…。日本では「会社員」「公務員」「儲かってる自営業」以外は「ちゃんと働いていない」って見做されるの、いったいアレはなんでなんだ。三十路男がバイトとか非正規だと人間扱いされないし、僕なんてシンガポールの米系企業で正社員していた時ですら、東証二部企業の社員から「日本でマトモに働いた方が良い」とか説教されたこともある。
海外就職は「逃げ」ってヤツだね。
日本企業で遅くまで残業して、結婚して子供2人つくってベビーカーで電車に乗らず、ダサいベットタウンにダサい建売物件買って、子供が育ったら実家からキッチリ叩き出し、定年退職したら運転免許を即刻返納!
これ「だけ」が日本で暮らす日本人の正しい人生であり、それ以外は「ちゃんと働いていない」人なのだ。
ヤバい(=^・・^;=)
しかも一度「ちゃんと働いていない」と見做されると、理不尽にも「人間性に問題がある」ことにされてしまう。昨今みたいな事件があった日には犯罪者予備軍である。あんまりじゃないか。
確かにまぁ僕は結構偏った個性の持ち主だと自認しているけど、だからといって少なくとも経済的に自立しているし、犯罪歴だって真っ白だ。
しかも。ちゃんと40年満員電車に耐え、残業してダサい建売りにレスの奥さんと住み、成人した子供を追い出して定年後に免許を返納したとしても。2000万円貯金がなければ生活保護か安楽死の二択らしいよ。さらに。年金のポートフォリオ的に老後必要な貯金額は今後もっと大きくなると思われる。
定年退職がない自営業と、会社に依存した働き方。長期的に見てどちらが幸福に暮らせるかなんて誰にもわからない。
まぁそんなことはどうでもいいとして。
日本で「ちゃんと働いていない」と見做されると「人間性に問題がある」ことにされるのは何故なのか。超厳しく激狭い「普通」の範囲を逸脱すると、一撃で人間性を攻撃されるなんてまるでイジメだ。
今日は日本社会に蔓延る3つの地獄構造について考える。
職業に結びつかない学校が多い
ここ最近僕が沈没しているインドネシアのバリ島は、なんちゃってこの海洋地域の経済首都である。だから観光地で売り子している人たちも実はバリ生まれの純粋なバリっ子ばかりじゃなく、周辺の島々から仕事を求めて移住してきた「国内移民」がたくさんいる。
僕がたまに行く地元食堂ワルンの看板娘もそのひとり。たぶんまだ18歳とかそこらであろう彼女も、5年前に両親と一緒にバリに移住してきた。
「ここは水が出るからいいわ。あとお父さんも仕事が見つかってアタシも高校を出られたし」
なんでも、彼女が生まれ育ったインドネシア東部の離島では、天井の雨水を溜めてそれがなくなると30分も歩いて海水が混ざった塩っぱい井戸水を汲みに行ってたらしい。
「親戚がバリに遊びに来た時、ペットボトルの水を山ほど担いで持って帰ったのよ。向こうでは真水が6倍の値段で売られているの。信じられる?アタシはもうあの島で暮らすことはないと思う」
外国人に「将来の夢」を尋ねることは、時に残酷で失礼になる。自分の人生を自由に選べる国ばかりじゃない。親の意向や貧困により、定められた道で生きるしか無い人たちがこの世にはたくさんいるのだ。
でも彼女はなんかカフェでバイトしている女子大生っぽい雰囲気を醸しており、そんな気遣いは無用な気がする。
高校を卒業して今後バリでやりたいこととかあるの(=^・・^=)?
「高校ではホスピタリティと英語のダブル・ディグリーを取ったの。だから、いずれは有名なホテルで働きたいな。空港の向こうにウェスティンがあってね。あんなところで働けたら最高だな~」
これってマジ、カフェでバイトしているゆるふわ女子大生のノリじゃんか(=^・・^;=) まぁカフェでバイトしているゆるふわ女子大生の知り合いなんてひとりもいませんが…。
それにしてもインドネシアでは高校から専攻があるんだね。実学主義というか卒業したあとで仕事を見つけやすそうだ。
「ま、そうじゃないから、こんなところで働いてるんだけどね」
で、ですよね(=^・・^;=)
「リファレンスがいるのよ。何ができるかじゃなくて、誰を知ってるか。他のチャンスがあると信じてるけど」
コネか。まぁどこの国でも生きていくのは大変なのだ。
それにしても。日本の学校って中学高校大学と、あまりにも職業と結びついてなさすぎじゃないか。よく「分数の割り算が将来なんの役に立つんですか!」っていうテンプレがあるけど、読み書き計算を除くと中学生以降に学ぶことって、生きていく上で直接的に何の役にも立たない。ミトコンドリアのクリステを図から秒速で選ぶ能力とかね。
そりゃお金持ちのご子息なら、おフランス文学とかおクラシック音楽とか、お興味のままお好きにお学びあそばせればよろしいだろう。でも庶民の子供まで奨学金という名の学生ローンを背負ってまでフランス文学とか学ぶことが、いったいどれだけ将来の役に立つのだろう。
よっぽどホスピタリティと英語のダブル・ディグリーを専攻して、卒業後はウェスティンホテルで働ける方が生活の安定、ひいては幸福に結びつくんじゃないか。
っていうか、ちゃんとした職能を学校で学ぶと、学位というお墨付きを得られる。具体的な職業スキルと、それを証明する学位。このセットは多くの国の就活で書類選考を通過する最低条件だ。逆に言えば日本でコケた日本人が海外就職に挑戦する上で最初の難関となる。
フランス文学専攻だけどフランス語は喋れず、職歴は接客と事務が2年ずつ。もうこうなると専門職に就くのは至難の業。
「稼げる職業スキルを学べる学校が少ない」
まずこれが日本が抱える地獄の構造だ。
雇用の流動性が低い
シンガポールで就活して実際に現地の米系企業で5年働いた感想は「マジ簡単にクビになる」ってヤツだ。もちろん他にいろいろ語るべきことはあるけど、最後は僕自身が整理解雇になったことからも、まずはいつ何時解雇されるかわからないってのは外せない。
というのも、社員をクビにする権限を現場の中間管理職が持っているんだよね。日々一緒に仕事をしているのだから、そりゃ業績や勤務態度は一目瞭然。さらに新規採用する権限も現場の管理職にあった。ならば気に食わない社員をさっさとクビにして、気に入る新人を自分で面接した方が気持ちよく働けるってもんだ。
だからコネが蔓延るのでは…(=^・・^;=)
という話は置いといて (/_・)/
だから本当に、仕事デキないヤバい社員はもうぜんぜん生き残れない。そして実はそれで何の問題もない。A社で気に食わないとされた社員が、B社やC社で歓待されるなんてケースは侭ある。実際に僕と一緒に職場をクビになった数十人は、僕を除く全員が解雇から3ヶ月以内にシンガポール国内で再就職を果たしている。その半数が就労ビザが必要な永住権を持たない外国人であったことを考えると、これはシンガポールの労働市場の健全性を証明している。
クビにしたい会社も、雇いたい会社もたくさんあるから、トータルで問題ないように廻っているのだ。当の中間管理職自身も、今後数年でもっと良いポジションに転職を狙っていたりね。
すなわち全員にとって会社にしがみつくメリットがない。だから職場で他人の人間性にアレコレ文句をつけるような面倒くさいことはしない。そんなんでパワハラ裁判にかけられるより、正当な理由でとっととクビにするか、自分から辞めるまでだ。
次の仕事はいくらでもある。
と、なると。日本で言う職場にしがみつく努力・我慢は、健全な労働市場においてはスキル向上と転職面接でアピれる業績作りに邁進するエネルギーになる。
シンガポール時代のテニス仲間は、退職を期に長年の夢だった自作ゲームアプリのリリースに向けて専業することにした。僕がウツ病だったときにアルバイトさせてもらったホステルも、起業を夢見るシンガポール女子が始めたビジネスである。
彼らは別に背水の陣で夢を追っているわけじゃない。もし失敗したとしても、彼らの能力を認めてぜひ雇いたいという会社がたくさんあることを知っているのだ。だって使えない場合はすぐクビにすれば企業としてノーリスクなのだから、優秀そうな人をとりあえず雇わないのは機会損失である。
現場を束ねる中間管理職が採用と解雇を直接出来るようになるだけで、労働環境がすごく健全になると思うのだけど…。それには法律を変える必要があるし、いまだに終身雇用を「安定」だと思っている労働者が多い日本では…事実上かなり難しいのが現実だ。
「職場に合わない社員をクビに出来ない」
「自分と合わない職場にしがみつくしかない」
雇用市場の流動性が低いのが、2つ目の日本の地獄構造である。
イジメで団結する
子供のイジメ自殺のニュースで、担任の教師がイジメに加担していたケースを見る。なんて酷い教師だ。人間的に狂った先生だったのだろう。こんな風に責任を負わせやすい存在を血祭りに上げて、問題を理解した気になるのは安易である。
でも全国各地にこれだけイジメに加担する先生がいるってことは、そこに何か問題の本質があるんじゃないか。
もし自分が担任したクラスが学級崩壊寸前で、強権的にでもなんとかまとめないと教師として自分の評価が下がるとしたら…。イジメ構造を意図的に作り出し統率をとるのは安易で危険な選択になりうる。
人間という醜い生き物は、相手の優れた点を認め合って協力するのがとても難しい。ところが悪いところ、嫌な欠点をあげつらうのは実に容易だ。
まず何かわかりやすい、周囲から煙たがられる欠点をもった生徒をイジメの対象に仕立て上げる。それは現代社会の生け贄の儀式だ。荒れたクラスに一体感を捏造するための生贄。イジメの対象を選ぶ権利は先生にある。次のターゲットにされたくなければ、先生に絶対服従しろ。
「次のターゲットはお前にするぞ」というイジメ構造を敢えて作り出して集団をまとめる「マネジメント」は、日本の様々な集団が「団結」するのに使われている。団結や絆は「僕は団結しない」という選択を許さない。体育祭のクラス練習を塾で抜けるとイジメられるし、職場の忘年会を子供を理由に欠席するとイジメられる。構成員を村八分にする仕組みとセットで初めて成り立つのが団結や絆なのだ。
この「イジメ管理」が有効になる条件は2つある。
- ランダムに集められた烏合の衆
- 嫌でもその集団から逃げられない
まさにクラスとか職場だ。偶然集められた閉鎖的な集団が、ひとつの目的を達成する使命を帯びた時。団結や絆という集団主義でマネジメントしやすくなる。
さらに団結や絆は責任の所在を曖昧にする。主語が「みんな」になったとき、問題が発生しても連帯責任となり、結局誰も責任を取らず改善もせず全力前進するしかなくなる。リーダーにとっては実に都合がいい。だから時のリーダーが「団結」や「絆」を口にしたら、それはイジメ構造で管理しようとしている危険な兆候だ。
逆に各人のスキルが明確で、自ら望んで集まってきたプロ集団なら、自分の手柄をキッチリ自分のモノにしたいので団結や集団主義はむしろ嫌われる。
でも学校で稼げるスキルを学べず、企業にしがみつくしかない日本の職場は、往々にして閉鎖的烏合の衆になりやすい。だから安易にイジメ管理が蔓延る。
これが日本社会が抱える3つ目の地獄構造だ。
日本社会からの卒業
従って「ちゃんと働いていない」と見做されると「人間性に問題がある」ことにされてしまうのは、日本社会が団結するための社会的なイジメである。
まず学校で実践的な職業スキルを身につけ難いので、「ヤル気」とか「コミュ力」みたいな曖昧な特性を売りに就活するしかない。当然、業界の専門知識なんてないから、企業ブランドとか平均年収みたいな外向きの情報を元に「憧れの会社」を決めるのだ。BtoC企業が人気なのも、お客さん目線で就活している学生が多いことを表している。
ところが中に入るとドロドロとした現実に直面する。でもだからといって気軽に転職も難しい。なにしろ稼げる専門知識を持たぬまま社会に出てしまったのだ。大した業務経験もないまま、いったい何を売りにどこの面接に望めばよいのか。
こうして会社にしがみつくしかない社員が出来上がる。そして職場は烏合の衆となり、イジメ構造による「団結」で全力前進するハメになる。
40年間満員電車に耐え、残業してダサい建売りにレスの奥さんと住み、成人した子供を家から追い出して、定年したら免許を返納して2000万円の貯金で余生を静かに生きる。
この「地獄」に「団結」して耐えているのが日本社会だ。団結を維持するには生贄が必要。だから「地獄」からイチ抜けしたヤツは社会的なイジメの対象にされ、生贄を得た地獄の団結はさらに強固になっていく…。
- 実践的な業務スキルを学校で学びにくい
- 雇用市場が非流動的で転職のリスクが高い
- 結果を出すのに団結が必要で、団結にはイジメが必要
もしこの辺りに生き難さを抱えているなら、地獄構造の圏外に脱出すれば一撃で人生が楽しくなる。いわば日本社会からの卒業だ。
列島を出よ!