結婚で幸福になるには見返りを求めず無条件で幸福を与える

いやぁもうマジ仕事が忙しくて、今日は数えると実に2ヶ月ぶりに「完全に仕事がない」週末。東南アジアに破竹の勢いで増えるお洒落カフェで、やっと業務アプリを閉じてブログを書く時間と心の余裕を持てた。

フリーランス家業がこんなに忙しいとは思わなかった。

もっともこれは完全に嬉しい悲鳴。海外ノマドとして1年目で生計が成り立っている時点で感謝しなくてはいけない。ただ仕事そのものは確実にサラリーマン時代より労力を費やしてかなり頑張っている。責任も重い。気が抜けない。

でも僕は仕事自体で大きくコケることはあまりない。職場の人間関係、通勤電車、何より朝早起きして同じ時間に同じ場所で同じ人と同じようなことを永遠に繰り返すのがダメだった。

今思えば。学校、日本企業、シンガポールの会社…。なんかすべて適応障害を起こしてたんじゃないかと思う。日本企業で鬱になったのは確実に適応障害。精神障害者手帳を取った時の診断書にそう書いてあったからね。

まぁ何にせよ、仕事「だけ」キッチリやれば、それ以外は自由に出来る今の環境が僕にとって完璧。何も文句ない。強いて言えば今後はもうちょっと能率を上げて週2日くらいは完全オフを作りたいと思うけど、それも僕の能力次第、裁量次第なのである。

収入も安定してきて、もうすぐシンガポール時代の給料を超える。先月は3000円足りなかった(=^・・^;=)

そんなわけで、時間と場所に縛られないのを良いことに、旧友に誘われたら比較的気軽に国境を超えて遊びに行く。まぁどこの国に行っても籠もって朝から晩までパソコに向かっているわけだけど…。

今月8月は建国記念の日があったため、マレー系イスラム教徒のお友達からお誘いを受け短期間だけまたどシンガポールに行った。僕の最初の海外就職は友達が経営するホステルの管理人で、建国記念の日に合わせてホステルの同窓会的な集まりがあったの。

シンガポールの建国記念の日。

普通の清く正しいシンガポール人は、家のテレビで記念式典と軍事パレードと花火を観戦するものだ。でもこれはお盆休みに引きこもっている非リア充日本人みたいなもんで、リアルを楽しむ系シンガポール人の正しい建国記念の日の過ごし方は2つある。

ひとつは海外旅行。建国記念の日と土日を組み合わせた連休に有給休暇を足して、ヨーロッパみたく連休でしか行けない場所に遠出する。この時期に当て込んだパック旅行なんかも売り出されるし、家族サービスや親孝行の意味もあるんじゃないかな。

そしてもうひとつが、都会のホテルの高層階に部屋をとって花火を高みの見物である。

F1レースの時期もそうだけど、何ヶ月も前から高級ホテルに予約を入れ、見物客でごった返す外界を眼科に見下ろし、特等席から花火を観戦するわけだ。これはわかりやすいステータスだし、ゾンビが発生する世界観を生き残ったみたいで気分が良い。

かくして今回はスイソテル・ザ・スタンフォードという、飛び降り自殺で有名なタワーホテルで同窓会が行われたため、僕もリア充シンガポール人の嗜みのご相伴に預かることとなった。

プレゼントのテッパンは商品券

と、なると。

悩みどころは手土産である。なにしろこの集まりはただの花火鑑賞会ではない。主催者であるマレー系ムスリム男子の、長女様のお誕生会を兼ねているというではないか。そういうことは前もって言ってくれよ…。

まじ中華系の集まりなら一升瓶を持ってけばみんな幸せになるのに、イスラム教徒がいる席で酒は絶対なし。そして彼らは見慣れない食べ物を好まない傾向がある。宗教上確実に食べられるものを繰り返しずっと食べ続ける印象。だからたとえ豚・酒を使っていなくても、日本の茶菓子などはウケが悪い。

かといって4歳女児が喜ぶおもちゃ?学用品?皆目わからない…。

こういう時は地元っ子に聞くのが1番だ。僕はいつもの中華系テニス仲間男子氏にアドバイスを求めた。

「喜ばれるプレゼント?商品券だね」

まじ(=^・・^;=)?

「うん、場にふさわしい額はこのサイトで調べられるよ」

いぇーい!めっちゃシンガポール!!!

というわけでプレゼント問題は彼のおかげで一撃で解決し、僕は高島屋の商品券を携えてスイソテル・ザ・スタンフォードのレセプションに向かった。プレゼントを額面でしか評価してくれない中、日系デパートを選んだのはせめてもの自己主張である。

さて。

F1にしろ花火にしろ、このタワーホテルは絶好のロケーション。だから今日はお呼ばれした来客が多いらしく、宿泊客用とは別にビジター用の受付が設置されていた。タブレットに部屋番号と宿泊者の名前を入力すると、ホテルの人が確認をとってエレベータホールに通される仕組み。この辺のIT化はさすがシンガポールである。

単純に高級ホテルでのんびりするだけじゃなく、友達を招く人がそれだけいるってことだ。いままでなら、ステータスの見せびらかし、マウンティング大好きなシンガポール人気質と思っただろう。

シンガポール人気質「キアス」

でも実際にお呼ばれして一緒に時間を過ごすと、そこにはまったく別の空間が広がっていた。

マレー系イスラム教徒の幸せ家族

2月に日本を脱出して以降、タイ、マレーシア、ベトナム、インドネシア、フィリピンを行ったり来たりしながら暮らしている。半年間のホテル(ホステル)暮らし。だからホテルには慣れているつもりだったけど…。

高級ホテルってのはやっぱスゴいね。僕が知らない世界だ。

まず壁が厚い。主催者のガキどもがチョロついて、あっちでバッタン、こっちでドッスン。あぁ、これクレーム来るんじゃね?などと心配してしまうのは安宿根性なのだ。ぜんぜん平気。誰も気にしないし、クレームも来ない。

でもだからって客を呼びすぎだ。

僕が知っているホステルの元従業員たちと、客でもないのにホステルに入り浸ってサッカー談義していたシンガポールSリーグのサポーターたち。これで7人、主催者夫婦とガキで4人、さらに僕が知らない人が4人いて、花火の直前にもっと来る予定だとか。

レセプションでどの部屋に何人通したか記録されているハズ。消防法とかどうなってんのコレ(=^・・^;=)

部屋は文字通り足の踏み場もない。今夜あたりご夫婦のお楽しみが行われるんじゃなかろうかなクイーンベッドに来客がビッチリ座り、床にも座りきれず、僕とフィリピン人ダメ男氏はバルコニーに溢れて昔話する羽目になった。

ただこれは僕にとっては都合がいい。何しろたくさんの声を聞き分ける能力が弱いため、室内の騒音の中では5分で疲弊するだろう。

3人以上と同時に会うと脳がフリーズする

とはいえ、締め出すことないじゃんね。僕らが外に出ると、誰かがガラス戸をピシャっと閉めてしまった。Hey Hey!(=^・・^=) ガイジンだけ孤立したみたいになっちゃうからさ、ココ開けといてよ(=^・・^;=)

「いや冷房の冷気が逃げるからさ」

と主催者のジャズリ氏。彼は軍事オタク。徴兵中の働きが良かったために昇格が早く、貢献を評価されて30代半ばにして予備兵から除隊された。このホテルに部屋をとったのも、おそらく花火ではなく戦車と戦闘機が目的に違いない。

「涼しいから中で話しなさいよ~」

と主催者の妻、アン氏。室内に空間がないからバルコニーに出たのだが。彼女は中華系シンガポール人ながらジャズリと結婚するためにイスラム教に改宗した。ところが生活は今までと変わらず豚をモリモリ食べるし、子供が産まれてからはモスクにも行ったり行かなかったり。不良ムスリムである。

ああ、これ。シンガポールの、この感覚。懐かしい。

「おもてなし」などと気を張ることなく客を呼び、特になにをするでもなく放っとかれる。ただ「家族の空間いること」を認めてくれる。無言の存在承認。8年前うつ病で疲弊した僕は、流れ着いたシンガポールで適度に放っておかれ、まったく干渉されない人間関係のなかで社会ともう一度関わる自信を徐々に回復していった。

ウツで退職して失った「働く自信」はアルバイトで好きなことして回復した

バルコニーに締め出されてシンガポール愛を再確認するとは、僕はマゾかもしれない。

幸福を与える者が幸福になる

主催者のジャズリは器が大きい男である。

見返りを求めず人に与えることを拒まない。35歳で僕と同学年なのに、そのどっしりとした構えに毎回「大人だな」と思う。勉強の方はイマイチだったらしく下級公務員をしているのだけど、それでも浪費せずお金を貯めて、こうやって1年に1度は家族と贅沢する。

婚活疲れしている中華系テニス仲間氏いわく、シンガポールも日本と同じで婚活市場で1番重要なのは年収らしい。

勝ち組の条件が明確な社会は幸せか

それでもアンは良い男と結婚したと思う。

彼女はかなりのクレーマー気質というか、とにかくアチラコチラに不満をぶちまける面倒くさい女だった。この同窓会にホステル経営者のリンが来ないのも、運営方針に何から何まで文句を言ったアンのことを嫌っているからだ。しかも彼女はあまり男性ウケする容姿ではない。もうサッパリである。

でもジャズリは彼女を選んだ。

そして結婚後のアンは、確実に良い方向に変わった。フィリピン人ダメ男氏も「彼女は接しやすくなったよね」と言うくらい。

思うに。

彼女はルールでがんじがらめにされ、数字で評価されるような場所では卑屈になるタイプ。そして反発して周りから孤立し、ほどなく適応障害っぽいことになってしまう。共感しかない。でもそういう人は逆に無条件で存在を認められたり、自由な裁量を与えられると、俄然イキイキと頑張るケースがある。

ジャズリはアンに無条件で愛情を与え、イスラム教的な価値観を無理強いすることもなかった。

彼は愛する者に与えることで、自分自身が幸福だと感じるタイプ。

ステータスの見せびらかしだと思っていた高級ホテルへのお呼ばれは、純粋に家族の特別な時間を僕に共有してくれただけだった。なにか特別な体験をするならば、周りの人達にもお裾分けしたい。別にもてなすわけではない。ただこの場にいて、一緒に時間を過ごす。

それだけなんだけど、ジャズリ夫妻の愛情の裾野は、シンガポールを去った外国人の僕にまで広がっているのだ。これはアドラー心理学でいう「人生の3つのタスク」を克服した先にある「共同体感覚」そのものじゃないか。

自分のことだけ考えればよい人生は気楽だ。僕はいま気楽だ。自分の人生に満足している。でも。この上に、より高い水準の幸福がある。

その秘宝は他人に無条件に幸福を与えることで得られるらしい。