多くの子供たちが命を放り出す8月31日に思うこと

8月31日。

夏休みが終わり、1年で最も多くの子供たちが命を放り出すこの日は、僕的に冗談抜きにキツい。

同じような喜びはあれど、同じ悲しみはない。だから同情や共感なんて人間らしい感情ではないのだけど、8年前に命を放り出そうとしたことがある僕は、やはり子供が自殺したニュースを読むたびにあの時のこと、そして自分が子供だった頃を思い出し、いたたまれない気分になる。

子供が、人生に、行き詰まる。

幼くして、死ぬことが、最良の選択であると、結論に至る。

僕がいたたまれない気持ちになるのは、行き詰まった自分の人生を立て直した今でも、彼らに何ひとつ助言することが出来ないからだ。

夏休みの終わり

22時過ぎの関越自動車道。オレンジ色のナトリウム灯が車の車窓を流れていく。運転しているのは父親、後部座席で僕の隣に座った母親と、助手席のチャイルドシートに座った弟は高速に入ってすぐ寝入ったようだ。

僕はというと子供の頃から不眠症。

小学6年生の僕は流れていく街灯と、まるで高速道路に寄生するように林立するパチンコ屋、そしてお城のようなラブホテルの妖しげなネオン。そんな救いようのない夜のクソ田舎を、焦点のあっていない目でただひたすら眺めていた。

小学校最後の夏休みがもうすぐ終わる。

僕はこの頃、自分がちょっと普通ではないことに気付き始めていた。というか、普通から逸脱して学校で困ることが多くなった。たぶん僕は物心つくまえから同じようなもんだったんだろう。でも12歳になってようやく、それを具体的に自覚できるようになったわけだ。

オレンジ色の街灯が視界を流れていく。その間隔が、心臓が鼓動するリズムのちょうど半分であることに僕は気づく。ここは高速道路なので、結構速い。

僕は夏休みの宿題のことを考えていた。

自由研究と算数の宿題はとうの昔に終わらせた。でも絵日記は夏休み2日目から空白。調理実習を参考に昼飯を作って家族に振る舞うという家庭科の宿題も、まだ母親にその存在すら伝えていない。しかしまぁ、これは怒られるだろうがなんとかなろう。そうだ、みんなでっち上げればいい。

問題は漢字ドリルである。

国語の宿題は、1学期に習ったドリルを漢字ノートに5回ずつ写経せよというものだった。当初は10回と言い渡されたのだけど、教師もこの荒れたクラスでそれは無理と承知しており、5回に減刑されたわけだ。

ところが夏休みも終わりに差し掛かり、久しぶりにランドセルを開けた僕は愕然とした。

ドリルがない。

僕は今でもそうだけど、曜日感覚が曖昧で6年生になっても時間割を理解できなかった。本当に各マス目の意味がわからなかったのだから、認知能力の発達は興味深い。

そんなことはどうでもいいとして。

僕はこんなだから「明日の準備」が出来ず教科書やドリルをランドセルにパンパンに詰め込んで持ち歩いていた。ところがお察しの通り教科書ってのはクソ大量にある。重い上に全部はとてもランドセルに入り切らない。だから家庭科や図工みたいな「ぜってー授業で使わねーだろ」ってヤツは新学期から自宅のゴミの山に直行していただくわけ。二軍落ちの刑だ。なお、6年生なのに完全に置き勉しなかったのは、丸めたプリント、セミの抜け殻、壊してしまった学校の備品などで机がパンパンであり、アンタッチャブルだったためだ。

ここで困るのが「ドリル」ってヤツの処遇である。

6年生になると、ドリルは殆ど宿題で使われた。すなわちわざわざ学校に持って行かなくても先生が風邪で自習になった時くらいしか必要ない。しかもその時はなにしろ先生がいないわけで、無くてもなにも困らない。僕が育った東京郊外の公立小学校は模範的な学級崩壊状態で、ドリルなど持ってこなくても問題視されなかったのだ。

こうして計算ドリルと漢字ドリルは僕の中で「二軍落ち」して、親にバレぬゴミ山の奥深くで春休みから続く夏休みを謳歌しているハズだった。

ところがあまりに放置しすぎたためか、いざゴミをかき分けても、ランドセルをひっくり返しても、漢字ドリルだけが見つからない。プールに行かされたついでに教室に忍び込んだけど、やっぱり机にもなかった。机は変な臭いがして、なぜか無くしたと思っていた音楽の教科書が出てきた。

あまりにも持ち物が無くなりすぎる。6年制の1学期には、消しゴムやノート、上履きがなくなった。今思えば、イジメられていたのかもしれない。椅子で殴られて前歯を折られたり、喧嘩に負けて血まみれになったりもした。でも当時の僕は頭が悪すぎてイジメだと思わなかった。

というか。

自分が傷つけられても、自分で我慢すれば良いのなら、どうでもよかった。それより僕は、自分を取り巻く社会、家族がもろくも崩れ去ることを恐れていた。

安全地帯

小学6年生の夏休み後半…。

身長が伸びるに従って近視が一気に進み、1年半前に作ってもらったばかりのメガネが早くも度が合わなくなっていた。新学期が始まったら、もう黒板が見えないかもしれない。あれはおそらく埼玉の深谷あたりだったんだろう、関越自動車道を流れる街灯やネオンに焦点があっていないのも、この近眼のせいだ。

僕はそれを親に言い出せずにいた。

この当時、僕の家族はとある事情で崩壊の危機にあり、僕はそれをとても恐れていた。僕も弟もまだ小さい。僕はこの社会のことを何も知らない。

程なく車は高速道路を降りた。信号待ちしている。深谷は当時の実家から遠いので、もしかしたらうたた寝したのかもしれない。

小学6年生の僕は、車の窓から今はなき深夜のサークルKにタムロする若者と、自動販売機の横で缶コーヒー片手にタバコを蒸すタクシードライバーを見ている。

自販機の光がやけに眩しく、僕は両親の庇護がなければあの店で売っているただの1つさえも手に入れることが出来ないのだと思った。どうでもいいけど、この記憶は赤オレンジ緑の光ばっかりで、当時はまだ青色LEDが発明されていなかったんだな。なお加法混色でオレンジ=赤+緑だ。

今思うと、サークルKのあの若者たちは不良の中学生、せいぜいろくでもない高校生だったんだろう。それでも自由になるお金を持ち、深夜に自分の意思で行動できることをとても羨ましく思った。とても大人に見えた。

学校の評価が、そのまま家庭の評価になる。

こういう親の元で、子供は身動きが取れなくなる。

学校生活の基本的なことに難があり、学校の人間関係に居場所を見いだせず、おまけに勉強もスポーツもまるでダメ。こんな状態で学校で何かトラブルが起こったら、同じ原因で家庭でも批判され、居場所が無くなる。そういうことが何度も続くと、トラブルを恐れ、もう誰にも相談しなくなる。身動きが取れなくなる。

なにしろ困ったことに「立派な大人」からしたら、僕の身から出た錆なのだ。

ドリルがなくなったのは「明日の準備」きちんとせず、持ち物の管理が雑だったから。それを級友に盗まれたとは卑怯な言い訳だ。目が悪くなったのも机のライトをつけなかったからだろう。学校でも背筋を伸ばしていないのだろう。毎日やるべきことをサボったからこうなる。

お前のせいだ。

そう、困ったことに僕のせいなのだ。

しかも僕の場合、こうして親のストレスを上げると、本当に家族そのものが明日から無くなってしまう可能性があった。ヘマをすると、あの深夜のサークルKのようなコミュニティに、お金を持たぬまま放り出されるかもしれない。ただでさえ何も上手くいかない僕があの「大人の世界」で生き残れるはずはない。弟はどうする。

小学6年生の僕には、学校にも家庭にも安全地帯がなかった。

そんな「些細なトラブル」を自力で乗り越える挑戦に、親が不用意に介入したら甘えて引きこもりになる。そんな意見もあろう。確かにそうなのかもしれない。アドラー心理学の名著「嫌われる勇気」にもそんな下りがある。

でも。

少なくとも、子供には、困った現状を包み隠さず、恥ずかしいことも悔しいことも相談できる、否定したり批判しない大人が必要だ。絶対に。

そうでなければ、子供は学校で上手くいかないと、同時に家庭でも居場所を失う。そして周りのすべてを憎む。難題ばかりこしらえる学校、敵であるクラス、その上で家族までもが学校や先生やクラスメートの評価をそのままオウム返しに自分を批判するならば、この世で憎まずにいられる人間はひとりもいない。みんな敵だ。

すべての原因である自分自身さえも。

A boy who lived

このちょうど1年後、中学生になった僕は過集中を自覚して、その能力を勉強に自在に使えるようになる。あと頭が悪くて物事を理解できなくても、漏れなく暗記して丸写しすれば点がもらえることも知った。

だから、生き残った。

学校とは、なんだかんだいって学年トップレベルに勉強が出来れば他がクソでもマルッとなんとかなる世界だった。なにしろ学校の評価が上がれば、家庭の評価も同時に上がるのだから。中学1年生で「頑張る手順」を発見し、頑張れば状況を自力で改善できる体験ができたことは、本当に幸運だった。

まぁそんなハリボテじゃ社会人になってまた盛大にコケるのだけど、その話は置いといて。

8月31日。

幼い命が次々と放り出される日。

僕は小学6年生の夏休みに見た高速道路のオレンジ色の街灯と、深夜のサークルKにタムロする不良少年たちを思い出す。

学校生活の基本的なことに難があり、学校の人間関係に居場所を見いだせず、おまけに勉強もスポーツもまるでダメ。家庭が安全地帯でなく、あの深夜のコンビニのコミュニティにも入れない。

そんな子どもたちが追い詰められ、目の前で命を放り出そうとしたら。僕はいったいどんな言葉をかけるだろう。どうやって止めればいいのだろう。

どうやって、この先も生きていれば幸福になれると伝えられるだろう。

末筆ながら投げ銭してくださった方に感謝申し上げます(=^・・^=)♬