からかい上手の女子と、勝ち組男子の誤算

紀伊國屋書店が頑張っていらっしゃる関係で、東南アジアで日本の書籍を手に入れるのはそう難しくない。バンコクに限っては和書専門の古本屋まである。昔はシンガポールのシェントンウェイにも古書店があったんだけど、僕が知る限り2014年ごろ潰れてしまった。悔しいのう…。

僕は住所不定の移動民なので普段はもっぱら電子書籍派。帰国すると紙の本も買うけど、次の出国までには漏れなく自炊業者に送ってPDFにしてもらう。

それでもやっぱりリアルの本屋は良い。

なにしろ数百冊の本を一度に視界に入れることができる。オンデマンドである電子書籍は、積極的にデマンドしない限り購入に至らない。逆に普段は興味がわかないジャンルを偶然手に取ってしまうのがリアル書店の魅力なのだ。

紙の本のチカラ。大型書店でメンタルを回復する。

人生詰む前に大型書店に行って選択肢を増やす

さて、この前ベトナムの某書店に行った折、「からかい上手の高木さん」というラブコメ漫画が無料で置いてあった。Amazonや楽天の1巻無料に対抗しているのかもしれない。かつて「高木さん」は人気漫画ランキングで上位になってたので、帰国イベント「徹夜マン喫合宿」でチラッと読んだことがある。当時は「爆発しろ」としか思わなかったんだけど、まぁタダだしヒマだし、もっかい読んでみるか。

ところが第一印象というのはかなり正確なもので、数年越しに読んでもやっぱり「爆発しろ」としか思わない。そしてその次に来た感想は、これが人気になるほど「いったい誰が読んでいるのか」という疑問。

ターゲット層が見えない。主な読者は男性として、非モテは大爆発を望むだろうし、リア充はリアル高木さんとキャッキャするのに忙しいハズだ。

それでネットで書評を検索すると「ピュアな恋愛にしびれました」「純粋な2人に癒やされる」「憧れの中学生活」という感じ。

…えぇぇ???

これってピュアで純粋な恋愛のお話だったの?ぜんぜん違うだろ(=^・・^=;)

普段から大衆と気が合わない僕だけど、同じ話なのにここまで違う読み方をするとは…。1巻無料の漫画で図らずも自分の心の汚れを悟ってしまったのでありました。

大衆に寄生して生きていく

女子の戦略、男子の戦略

男子校出身者はご愁傷様として、共学の中学校であれば男子にちょっかい出してくる「高木さん」みたいな女子は普通にいる。逆に言えば地味でモテ筋でもないのに、西方君みたく美味しいシチュエーションに恵まれる男子も普通に大勢いるのである。

ところが、そんなからかい上手な女子が、からかい対象の地味でモテ筋でもない男子に恋心を抱いているかというと、僕は大いに疑問だ。

そりゃもちろん僕が非モテという原因は大いにあろう。でも小中高と共学の公立校で人間観察してきた結果、女子中学生という生き物は好みの男子に直球でちょっかいを出すほど単純じゃない。

彼女らが「女」を武器に男子をからかうのには別の目的がある。

それは自分の「女性」としての価値の確認だ。

体つきや顔立ちが大人の女性に近づく思春期。テレビや雑誌では同学年の子が「女性枠」で活躍し始める。芽生えたばかりの女性性。自分にも女としての魅力があるのだろうか。あるならどの程度だろうか。

ちょっと隣の男子で実験してみよう。

地味でモテ筋でもない西方君みたいなのが、からかいの対象になる理由もそこにある。サッカー部のキャプテン先輩みたいな、明らかなモテ筋男子をからかったのでは、軽くあしらわれるかむしろ拒絶されて逆に女としての自信を破壊されてしまう。

自分にも女としての魅力がある程度あること、自分の魅力がもっとも「効く」男子の種類、そういう男子を夢中にさせるテクニック…。

共学中学に普通にいる「からかい上手の高木さん」は「安全牌」である地味でモテ筋でもない男子の反応から、自分に芽生えたばかりの女の魅力の市場価値を確認して、男社会のなかで最も高く評価されるセグメントを探っている。

「隣の男子」はそんなマーケティング作業の道具でしかない。

じゃあ、からかわれた男子は被害者かというと、まったくそうではない。からかい上手な女子は、地味でモテ筋でもない男子の心に「リア充の種」を蒔いてくれるのだ。

女子と自然にお付き合いするには、高校生からでは遅すぎる。

完全に手遅れ。なぜか。

理由はテストステロン。高校生の恋愛では、暴走する男性ホルモンが邪魔をして「ピュア」で「癒やされる」ような恋愛ができない。具体的には早々に「済ます」ことを目指して失敗し、自分の男性としての自信を傷つける。

男性ホルモンに強く影響される前に、男子はからかってくる女子から女性との接し方を学ばなければならない。どこでどう行動すればどの程度モテるのか、自分に興味をもってくれる女子の種類、そういう女子がいる場所。

客観的な分析と自己認識が、男としての自信「リア充の種」になる。

テストステロンがこの客観性を撹乱する前に、小中学校で心に種を宿す必要がある。その後の高校や大学とは、男性ホルモンを栄養にしてリア充の種を芽吹かせ、大き育てる場所なのだから。

そして「からかい上手の高木さん」はまさに種まきの物語だ。

鎮魂歌

音楽聴き放題サービス、Spotify が面白い。何が良いって、普段聴かないようなジャンルの曲をぜんぜん関係ないプレイリストにねじ込んでくるんだよね。

Youtubeみたいなオンデマンドのサービスは、電子書籍と同じで自分からデマンドしない限り新しい音楽に出会う機会がない。しかも CD ショップは自由に試し聞きできない役立たずときた。音楽に関して Spotify は、立ち読みできるリアル書店のような役割を果たしていると思う。

そんなことはどうでもいいとして。

先月タイのバンコクで仕事しながらモンゴル800の曲を Spotify でランダムに流していたところ、可愛らしい声の「小さな恋のうた」に突然切り替わった。

何だこれは(=^・・^#=)

それで曲の出どころを調べると、アニメ化した「からかい上手の高木さん」のアルバムだそう。アニメで高木さん役を担当した声優が、往年の J-POP を可愛らしい声でカバーしている。さながらヒロインとカラオケに行ったようなコンセプトなのだろう。せっかく聴き放題だし、引き続き仕事しながらこのアルバムを最初から聴いてみるか。

するとなんとビックリ!最初から最後まで僕の世代ドンピシャの懐メロじゃないか。高木さんのアニメ化って比較的最近でしょ?ってことは30代半ばの僕みたいな男性が「高木さん」ファンの中心層なのか(=^・・^;=)?

いやいや。あんな種まき物語「爆発しろ」としか思わないでしょう。

すると…高木さんの読者層って既婚男性なのか?

ピースがすべてバチバチとハマった気がした。

「高木さん」は心にリア充の種を宿したことがないと共感できない。リア中の種を芽吹かせ、テストステロンで大きく育て、大輪の花を咲かせて果実まで収穫できた「勝ち組」である既婚男性。

彼らなら、このラブコメを爆発させずに楽しめるのではないか。何しろ多くの場合「リア充の木」は実をつけると枯れてしまうのだから。

からかい上手で賢い女性は、自分の女性性の価値を男の鏡に映して客観的に測ることが出来る。だからフェミニズム的な詭弁に流されず、冷静に自分が1番高く評価される機を逃さずに安定的な家庭を築く。そして彼女らの予測通り20代も後半になると、中学生の頃に芽吹いた女性性の輝きが加速度的に目減りしてくる。さらに愛情の対象も子供に移行する。

結婚を決意する男性は、わずか数年後に訪れるこの悲しい現実にあまりにも無自覚だ。

見事に高木さんを射止めたハズが、いつの間にか妻が「元高木さん(BBA)」になり、愛情からも取り残されてしまった既婚男性。「からかい上手の高木さん」が彼らに鎮魂の物語として需要されていると考えると興味深い。

彼らは枯れてしまった「リア充の木」の前で、懐かしい春の種まきの光景に癒やされているのだ。

シンガポールで暮らしていると「結婚」とは何なのかわからなくなる