東日本を強烈な台風が通り過ぎたらしいけど、一切関わらないようにした。
不安を吐露する日本在住の友人がいても、まぁ軽く「大変だねぇ」みたいな感じに距離を置く。それでもあまりに執拗に恐い恐い言う人には、僕は君の恐怖に一切興味ないから台風の話題にはもうこれ以上返信しない、と伝えたこともある。
冷たいだろ。
でもね、彼らは「捨てられない人」なんだ。
3.11の地震のとき、僕もそうだった。
人間関係、家、仕事、そして家族。人生を構成しているたくさんのアレコレのうち、本当に何が大切なのか明確にしておかないと、いざ危険が迫った時、全てを守りきれない可能性に右往左往することになる。逆に「コレさえ守ればなんとかなる」と予め優先順位をつけておけば、何が起こっても重要度が低いものからバッサリとトカゲの尻尾切りにして、絶対に守るべきものを死守できる。予め決めてあるのだから、決断を悩むこともない。
台風で氾濫しそうな河川の側で固唾を呑んでテレビの災害情報を見ている人など、自分の命、家族、持ち家、仕事、の優先順位がついておらず、結局すべてを危険に晒しているアホにしか見えない。
家族の命>自分の命>家>仕事。
こんな風に優先順位をつけておけば、交通機関の計画運休が決まった時点で会社には休む旨を伝えて、影響がなさそうな例えば新潟とかに、温泉宿でも取って家族でのんびりすればいいのだ。どうせガラガラに違いない。
…と、まぁこんな感じで、僕は自分が経験したことのない他人の痛みに共感するチカラが致命的に弱いのである。
共感するチカラが弱い
悲しんだり、恐れたり、実際に被害にあって苦しむ人に寄り添うこと。僕はこれに強烈な苦手意識がある。
いちばん困るのが、友人や親戚が亡くなった時だ。
その人ともう永遠に会うことができない。この事実を理解はするけど、感情の方は「でもまぁ特に何も困らないだろう」と感じてそれで終わり。現実として受け入れるだけ。親しい人たちがこの世を去ること。それが、多くの人達と同じように感情に結びついていない。
涙の一滴も出てこない。人間性にバグがある。
とりあえず1人の人生が終わってしまったことを、残念だとは感じる。ただその残念な感情と同時に「面倒くさい」と思う気持ちがぐんぐん頭を擡げて、程なく全てを覆い尽くす。直前だから往復10万円近い飛行機を予約して、チクチクして肩がこる礼服を着て、すべてに優先して特定のクソ田舎に趣き、故人本人でもない親族に金一封を渡し、信じてない宗教ビジネスのサラリーマン僧侶が下らない説教をするあいだ、無意味に神妙な顔をしてジッと座っていなくてはならない。
これは結婚式も同じ。
僕自身に結婚願望がまったく無いものだから、ただ1人と死ぬまで暮らし、いかなる理不尽な問題にも連帯責任を負うという意味不明な契約を、どうしても理解できない。理解できない概念には、何の感情も伴わない。当然、おめでとうとも言えない。
嘘をつくのは嫌いだ。
まぁ当然の結果として冷たい人と思われるし、もちろん批判されるのは嫌だ。それでも、とくに悲しくもない僕が葬儀に参加して、うっかり的外れで空気を読めない弔辞を述べて遺族のさらなる負の感情を掻き立てるくらいなら、僕は最初から理由をつけて参加しない。
幸いなことに、海外在住というのは冠婚葬祭をバックレる最強の切り札である。カネが無いので交通費の10万円だけでも用立ててくれないかと言えば、大抵の場合はお茶を濁され事なきを得る。
やれやれだ。
自分が幸福なときも、あるいは不幸なときも、あくまで自分が幸福なのであって、無関係な周りの人達も一緒に祝って(弔って)欲しいとは思わない。自分が幸福/不幸なことと、周りの人達に共感されることは、まったく別の出来事。
だからこそ、祝福や同情を受けることを、それでもっと救われた気持ちになりやがれ!という脅迫まがいの「社会的圧力」に感じるのだ。
共感を求める関係を捨ててラクになる
憧れの海外就職を実現しても、日本と違う生活や労働環境に病み、ちょっとしたトラブルでホームシックになって早々に帰国していく人達がいる。8年間の海外生活でそんな人達をみるにつけ、僕はこう思う。
実に健全な人だな、と。
生まれ育った国、家族、友達、文化、日常。僕はそういうのに強いこだわりがないからこそ、流れるままに日本脱出を実現して、こんな不安定な生活をもう8年も続けているのかもしれない。日本酒は好きだけど、まぁビールがあれば問題ない。そんな感じ。
寂しさに鈍感で、どんな状況でも他人の共感を必要としないのは、「日常を超えた状況」においてはある意味で最強なのである。
だからこそ、僕のように「冷たい人」は。
共感を求めてくるような人間関係、そして自分の命や家族の安全を脅迫してくるような仕事を、積極的に人生から切り捨てていけば幸福になれる。
ココにいたら危険だ!不安だ!本当に大切なものが損なわれる!
そんな心の叫びに従順になり、予め決めておいた優先順位に従って具体的な行動を重ねれば、自分を苦しめる「共感の圧力」から開放される。結局、共感を押し付けてくるような個人/組織と無理して折り合いをつけても、長い目でみると人生の本当に守るべき部分を徐々に毀損して、味気ない人生に磨り減っていくだけなんだ。