日本のコワーキングスペースでは耳に入ってくる会話が全部日本語。当たり前ながら難なく盗み聞きできて面白い。
会話の内容から完全な個人事業主やフリーランスは意外なことに少数派で、彼らの語り口には会社の代表としてお客さんと向き合ってる緊張がにじむ。当然男女ともスーツ姿が多いし、ここにいるほとんどはどこかの企業に勤めるサラリーマンなんだろう。出先でお客さんと話す、会議室的な使い方が営業さんたちに浸透しているのかもしれない。
仕事に疲れてきたら、今日も僕は耳をそばだてる。すると具体的な会社名や業務内容がポンポン聞こえてくる。こんな裏事情を公衆の面前で話して良いのだろうか。実に面白い。
会社名と事業名がわかったら、そりゃ平均年収と口コミを調べるよね。ライオンだもの(=^・・^=)♬
えっ(=^・・^;=)
うわっ…!このスーツのおっさんの会社、年収低すぎ!
僕はシンガポールで外国人向けの求人情報ばかり見てきた関係で、日本の中小企業の給与水準を低く感じるようになってしまった。っていうか、こんな給料の仕事をよくそんなアツく語れるな。額面相応にもっと手を抜いて適当に流せばいいのに。
停滞する日本経済を尻目に、いつの間にか東南アジアが圧倒的成長を遂げてしまい、専門職に限って言えば給料水準の逆転が起こっているようだ。
古今東西、昇給しないのは労働者として評価されていないことを意味する。だから勉強してスキルを積み増すか、コネを作って有利な条件で転職するしかない。ボケーっと昇給の流れに取り残されると、インフレの波に飲まれて食いっぱぐれてしまう。iPhone11は買えても来年さらに値上がりするだろう12には手が届かないかもしれない。
深夜のコンビニで働くベトナム人を見れば分かる通り、みんなそりゃ必死だ。
ところが日本では、正社員、非正規という「平成の身分制度」の元、ちょっとやそっとじゃ昇給しないのが当たり前。そんな状況が長らく続いてきた。しかも世界とは逆にデフレなものだから、給料が何年も上がらなくても危機感を持ちにくい。
肉や果物を買えなくても、豆腐とモヤシを食べればいい。そして豆腐とモヤシが来年値上がりする心配は要らないのだ。
この特殊な経済環境で生まれ育った日本人は、バブル崩壊以降、給料が一切上がらずとも必死に働くことを強いられてきた。どう頑張っても昇給しないのだから、そりゃもう「やりがい」とか「みんなの笑顔」とか、新しい概念を発明して自尊心を保つほかない。
なんという地獄だ。
しかも新卒で一流大企業に上手いこと潜り込まない限り、多重下請構造の底辺で経済奴隷になるか、ヒキニートになって親を刺したり刺されたりするかの、地獄の二択が待っている。こんな1度の失敗ですべてを失う環境では、リスクを取って挑戦するよりも、現状から更に落ちぶれないよう、不本意な条件でもしがみつくのが合理的。
長いこと南の島でフラフラ生きてきた僕は、35歳という年齢の割に年収が低いのがコンプレックスだった。でも7年も日本を離れていた間に、日本人の平均年収の方がダダ下がり、いつの間にかこんな僕がそこらへんのおっさんより稼ぐ部類になっていた。
皮肉なことじゃないか。
苦手の克服は時間の無駄
とはいえ僕はリスクを取る恐ろしさを身を持って知っている。それで貴重な20代の時間とエネルギーを5年間も、不本意な仕事にしがみつく我慢に費やし、その結果うつ病アル中無職に墜ちた。
要するに病気になって退場。僕は結局最後まで自分の意志でリスクを取る勇気を持てなかったのだ。
身体が動かないとか、夜通し一睡もできないとか、典型的なウツ病の症状はフィリピンで1ヶ月くらいなんもせずサンミゲルビール飲んでたら治った。
その後半年くらい、抗うつ薬と精神安定剤(デパス)を飲みながらアジアや北米を旅していたら、お客さんとスタッフは対等、インド人は警察沙汰を起こしたから出入り禁止、家出シンガポール人もトラブルの元だから追い払え!という過激なシンガポール人オーナーに出会い、彼女の安宿の受付ならまた仕事デキるんじゃないかと思うくらいには働く自信が戻ってきた。英語で接客はもちろん心配だったけど「シーツ渡してベッド指差せばいいわよ!わっはっは」ってなノリ。
・・・だから潰れたんだな。
とはいえホステルの受付である。物価の高いシンガポールで時給400円。月10万円稼げれば良い方。正社員の地位を失い、収入が半分以下になってしまったわけで、完全に転職に失敗したといえるだろう。
でもこのアルバイトで、僕は大きな学びを得た。
- 得意なことを伸ばす努力は楽しい
- 苦手が多くても特技があればカネになる
- 苦手の克服は時間の無駄
僕は苦手な事が多い。
相手の社会的地位に合わせた振る舞いがデキない。上下関係を理解できない。3人以上のグループで会話すると疲れる。疲れてストレスが一定を超えるとキレて怒鳴ったり暴力的な行動をとる。集中力がない。集中すると他のことは何もできない。毎日同じ場所で、同じ人と、同じことをすると、日常を全部ぶっ壊したくなる。決まった時間に起きるのがとてつもなく苦痛。午前中は体調がすべて悪い。午前中に電車に乗ると下痢をする。
これをまとめて「仕事がデキない」と認識したから、自信を失ってウツになった。
でも大好きな「旅」に関係する自由度が高いアルバイトをするなかで、取るに足らないと思っていた僕の能力が、結構仕事に役立ち、職場で必要とされることに気付いた。
例えば。パソコンに詳しい。トラブルの原因を調べて解決するのが好き。人を説得する文章を書くのが得意。語学が好き。利害関係がない一時的な人間関係が得意。独りで黙々と作業するのが好き。異国でも孤独を感じない。酒に強い。
他にも不潔な環境をあまり気にしないっていう一見どうでも良さそうな性格が、東南アジアではめちゃくちゃ役に立ったり。その後シンガポールで上階のトイレの汚水が降ってくるボロ屋(家賃5万円)に住むのだけど、むしろ楽しかったし。
ここで挙げた得意なことっていうのは、オンリーワンでもなければナンバーワンでもない。
あくまで、そこらへんから適当に人を集めたら、その中では良い方だろう、ってなくらい。それでも、はなから苦手なことを克服しようと奮闘するより、ちょっとは得意でやってて楽しいことを、誰かが依頼してくれるレベルまで努力して伸ばす方が、結果的に仕事に結びつき、カネになるのだ。
辞令1枚で何でもこなせる人材が重宝された時代は終わり、そういうマニュアル化して後任に引き継げる仕事は安い移民とAIに奪われる。
この過酷な競争社会で給料を上げていくには、苦手が多くて変人だけど「とりあえず」他に出来る人が周りにいないからコイツに頼もう。そういう特技を持った「とりあえず」のスペシャリストになるほかない。さらにその技能を一生磨いていく大変な努力が必要。
苦手にいつまでも固執してマイナスをゼロに埋めている時間はないのだ。
「得意」が「好き」とは限らない
刺したり刺されたり、火を付けたり。それで大した罪に問われないのだから、令和の日本は暴力が支配するやったもん勝ちのヒャッハーワールドだ。
親父に刺されたヒキニート、そしてアニメプロダクションに放火した「実質ちゅーそつ」。両者ともネットに晒された経歴を見るに、アニメに関わる仕事に就きたかったのに夢破れたっぽい。
凡人が「好き」を仕事に出来るわけがない。好きを仕事に出来るのは、天才か、運が良いヤツか、もしくは運が良い天才だけ。これは宇宙でそう相場が決まっている。
僕だってネットに文章を書くのが好きでブロガーになりたいけど、3年続けてもブログだけじゃ食費も賄えない。そもそも自分が天才にも超人にも該当しないことは、小学校を卒業するまでには打ちのめされるほど理解させられた。
そういう悲しき凡人は、せいぜい「得意」を仕事にするしかない。
ここで重要なのは、悲しきかな得意なことが好きとは限らないのである。さらに超人にはお客さんが自然と集まってくるけど、凡人は「とりあえず」の得意を買ってくれる貴重なお客さんを自分で探さないといけない。
だから、好きを仕事にするのと、得意を仕事にするのは、必要なアプローチが180度異なる。
例えば僕は、IT系の知識が中途半端にあり、日本語で文章を書くのが好きで、英語を海外で死なない程度には理解できる。このスキルセットを売りに出したところ、技術翻訳の仕事をくれる人が現れた。僕は翻訳家を目指していたわけでも、英語で書かれた仕様書や説明書を読み込むのが趣味というわけでもない。
でもこれで「得意」を仕事にする目標を達成できた。凡人にはあまりある幸福である。
苦手にいつまでも固執して、上がらない給料を我慢するのは良い仕事の敵だ。それに美容にも良くない。そこから抜け出すには、とりあえず得意なことをお客さんに必要とされるまで伸ばし、この努力をマネタイズするしかない。