皆様、ご無沙汰しております。ししもんです(=^・・^=)♬
Youtubeデビュー宣言したのに、結局それも長続きせず、Twitterも止めた今、情報発信をほぼしていない状態。まずはその辺の事情を手短に。
端的には状況が一変してしまったんだな。
僕が情報発信するモチベーションは、一貫して自分と同じような境遇にある人に対して、多民族国家に移住すれば人生がラクになるかも、という可能性を示すことだった。
空気が読めない。もっと具体的には共感性が乏しく、他人の気持ちに寄り添うような会話や行動がどうしても出来ない。そういう場合、認知行動療法とかで自分を変えずとも、共通前提がユルい、多様な「普通」が混在する多文化共生社会で外国人として暮らせば、周囲との摩擦が減って「自分もこの社会の一員だ」という感覚をもってポジティブに生きられるようになるかも。
そのために英語をどうするか、仕事をどうするか、日常生活がどうなるか、そういうリアルを日本で僕と同じ境遇の人たちに伝えたかった。
ところが。
海外生活も10年目に突入し、僕自身が「普通の日本人」の感覚を随分忘れてしまった。もちろん僕のアイデンティティは今でもハッキリ日本人だけど、日本のニュースを読んでも、いまいちピンとこない。こういう出来事に触れた日本人が、こういう反応を示すということを、自分の価値観に重ねて理解することが年々難しくなっている。「さすが日本人!」とか「日本は遅れてるな」とか感じる前に「どうしてこう反応するんだっけ?」と立ち止まってしまうのだ。
さらにアラフォーと呼ばれる歳に突入したこともデカい。
36歳。
正直、駐在員ならともかく、この年齢から独力で海外現地採用を目指すというのは、現実問題難しい。もちろんやれば出来るだろうけど、日本で勤続15年の正社員をしていれば享受できる収入・社会保障・ステータスからは、随分見劣りする可能性が高い。
最近は何を語っても「都落ち中年のススメ」みたいになっちゃって、ボツにすることが増えた。
そして極めつけは、フリーランスとして不安定ながら僕自身がある程度成功してしまったのだ。
「婚活女性が男性に望む最低年収!」みたいな煽り記事を読んで、現実見ろクソBBAと不快に感じた10年前と違い、今では余裕でそれ以上稼いでいる。婚活はしないけど。
そんなわけで、何を語っても自分を「上から目線」に感じて筆が進まない。Youtubeは尚更で、カメラを廻しても言葉に詰まるようになった。
でも時々、発信したい発作が起きる。
これはもう僕の習性なんだろう。そんなわけで。原点回帰すべく、このブログのログイン画面を8ヶ月ぶりに開いたわけです。
自分の運に賭けて勝った
発達障害や愛着障害を専門に診療している、岡田尊司医師の著作「愛着障害〜子供時代を引きずる人々」には、なんとなく共感できる困りごとを抱えた偉人たちが取り上げられる。そうした事例をたたき台に、医学実験や臨床での経験をもとに岡田氏が持論を展開していく本書。
そのなかで、愛着に問題を抱えていると人生設計とかキャリアの積み方が場当たり的になると書かれていてハッとした。
今でこそ相応に評価される仕事に就けたけど、それはあくまで運が良かったに過ぎない。ウツで東京の会社を辞めたとき、シンガポールでアルバイトを始めたとき、外資企業の正社員を目指してシンガポール就活したとき、そこをクビになってフリーランスを目指す決心をしたとき、オランダ移住を決めたとき、ゲームアプリを公開して広告でマネタイズしようとしている今。
その全てが行き当たりばったりで、計画性はまったくない。
発達障害や愛着障害の当事者疑惑を向けられやすいAppleのスティーブ・ジョブズ氏も、最初の膵臓がん手術が成功した後のスタンフォード大学卒業式の祝辞で「点と点をつなげる」的なことを言っている。
要するに今できる最高の選択を、点(ドット)として過去に残していく。後から振り返ると、自分が撒いた点と点がつながり、大きな意味をもたらす。でも未来に向かって予め点を用意しておくことはできない。今できる最高の選択を、今この瞬間にやり続けるしかない。
そんなお説教であった。
まぁ僕自身は林檎教団の信者だけど、それとはあまり関係なく、僕の習性として、この10年間、今できる最高の選択を全力で刹那的に点として撒いて来た。2020年は、それが一本の線に結ばれた年だった。
フリーランスなんて、仕事がなければ無職である。
それがこのコロナの蔓延の最中、海外で起業して移住を目指す。いま振り返ると無謀なことこの上ない。ただそれは、1年前の僕にとっては疑いようもない最善の選択だったのだ。
それを習性とも言える体当たりで実行に移した。
僕がオランダに到着した2ヶ月後に、東南アジアや中東を経由して欧州に向かう格安航空会社LCCが次々と定期運行を停止。僕が手続きしてから10日後にオランダ移民局がコロナで閉鎖され、銀行も法人口座の開設を一時停止した。法人口座がなければ商工会議所に起業を登記できず、フリーランスビザでオランダに居住する道は絶たれる。
まさに滑り込みセーフ。
計画性皆無の場当たりだったけど、結果的に運に恵まれて賭けに勝ったのだ。
苦手を容赦なく切り捨てる
「お友達をつくりなさい!」
頭ごなしに叱りつければ息子が他人に興味を持つと考えた僕の両親も大概だけど、社会的に孤立してはマズイのだという危機感は確実に僕の中に植え付けられた。
でも上手く行かない。
自分なりの友達の作り方を発見して、ある程度社交的に振る舞っていた時期も、これまで断続的にあった。不朽の名作「嫌われる勇気」「幸福になる勇気」を実践してみたのもそれだ。しかし結局は作りキャラで対人関係エネルギーをブーストして、かなり無理していたわけで、どれも長続きしなかった。
コロナで他人との接触が制限され、引きこもりがお上から推奨された2020年は、まさに僕にとっては孤独に静かに暮らしたい「素の自分」を初めて社会から肯定されたように感じた。
オランダに移住してからも、言語交換アプリで知り合ったメンヘラ女子や、移民局で僕を担当してくれた公務員ちゃんと知り合ったものの、やっぱり他人となにかするとドッと疲労し、孤独に仕事や趣味に没頭する方が圧倒的に幸福で、家族以外との接触を制限するオランダ政府のお達しを言い訳に使えたこともあり、彼女たちとの交流もこちらから次々と切ってしまった。この辺の経緯はYoutube参照。
選択と集中である。
コロナ蔓延のなか、海外で起業して5年後のEU永住権取得まで踏ん張るには、幸運ばかりをアテにできない。オランダで暮らすオランダ人や、日本で暮らす日本人よりも、僕は着実にもっと努力して、大きな成果を出さなければいけない。
この5年間は人生のがんばりフェーズなのである。
もともと有能な人ならいざしらず、僕のような元落伍者が、そのような努力を5年も継続させるには、選択と集中が欠かせない。
苦手なことは、たとえ最低限の人間関係でさえ切り捨てて、稼ぐ能力を高めて永住権を取得する「本望」に全身全霊で集中する必要がある。
人生計画が皆無でキャリア形成は場当たり的だけど、コレだ!と決めたら僕はすべてを犠牲にして取り組むのである。
得意に徹底してこだわる
最初の3DゲームアプリをApple AppStoreで公開することが出来た。高層アパートをテトリスで建設したり爆破したりする、不謹慎なクソゲーである。
フル3Dゲームを広告でマネタイズして公開するという技術実証実験なので、残念ながら全く面白くないけど、これでアイデアをゲームとして表現するのに必要な、最低限の技術を独学で身につけられたことになる。
春頃からチマチマとゲームを作り始めたのも、点と点がつながったからだ。
紆余曲折あれど、僕がこれまでIT技術畑で仕事してこられたのは、プログラム的なロジックを組むのがある程度得意だからだ。あと、Appleの開発手続きは基本的にすべて英語なのだけど、これも10年間の海外生活を経てストレスでなくなった。
そしてゲーム作りを決意したキッカケになった最後の「点」が、イスラエルのユダヤ人であるハラリ氏による名著「ホモデウス」である。まぁサピエンス全史を読んだ人には冗長極まりない続編なのだけど、膨大な資料を根拠に示しながらハラリ氏が説く未来像は、AIに職を奪われ、ベーシックインカムで社会に飼われる「無用者階級」に、多くの庶民が転落するだろうというものだ。
そして、社会に活かせる技能を何一つ持たない「要らない人々」の暮らしは「薬物」と「ゲーム」が中心になるだろうと彼は説く。
さらに、東ロボくんを開発した数学者である新井紀子氏は「AI vs 教科書が読めない子どもたち」の中で、AIで実現できる「限界」を示しつつ、それでも多くの人の職を奪うことは確実だと説く。そしてシンギュラリティを数学的根拠を持って否定する新井氏は、作曲したり絵を描いたり、ゼロから何かを生み出すことがAIは苦手だと述べている。
つまりこの2人の知の巨人の主張を組み合わせると、AIが発達するとゲームで時間を潰す需要は増えるのに、ゲームを生み出す仕事はAIに奪われ難いということになる。
コレだ!
そんなわけで、自分の得意とする能力と、社会の需要見込という点と点がつながり、次の体当たり先をゲーム制作に定めた。
そんなわけで
悲劇的な年として歴史に刻まれるだろう2020年は、僕にとっては幸運に恵まれ、努力に明け暮れた、実り多き1年だった。
今後も状況は時々刻々と変化するのだろうけど、僕としては淡々と「家で」「独りで」「得意なこと」に打ち込んで、着実に結果につなげていこうと思う。