発達障害的な脳は覚醒したいので効果的なヤバい状況に自分を追い込んで結果を出す

前回の記事で書いたように、発達障害的な脳をもっていると、過去の記憶や荒唐無稽なアイデアが次から次へと思い浮かぶ。とりあえずキャラが濃いという意味でなら「独創的」かもしれないけど、困ったことにこうした雑念は、脳とかメンタルのエネルギーを消耗するのである。

つまりトラウマを不用意に刺激するフラッシュバックとか、使い所がない実現不可能な妄想に、日常を暮らしていくためのガッツを奪われて、真人間として本来こなすべき仕事、家事、人間関係に支障が出る。

そして、結果的にヤル気エネルギーをすっかり浪費してしまったときは、ブレンフォグのような不快な感覚に襲われる。

脳の異物感「ブレインフォグ」の人体実験と考察

発達障害は無理せずそのままの気怠い脳で猫みたいに生き残ろう

考えて結論を出すべきなのに、霧がかかったように脳がぼんやりして働かない。調子が良い日なら確実にできるハズの仕事なのに、途方も無い重労働に感じる。あるいは誰かと約束した時間が迫っているのに、それを意識するほどに疲れてしまい身支度が手につかず、結局は遅刻やドタキャンしてしまう。

こんな風に脳が不活性な状態は、真人間として働いたり社会生活を送る上で困るし、なにより感覚として気持ち悪いのである。僕の場合は頭蓋骨のなかに綿みたいな異物を詰められたような、具体的な気持ち悪さを覚える。脳が凝っているとも言える。肩こりの脳バージョン。

一節によると、この不快感は神経伝達物質の異常な働きが原因らしい。アレコレ検索すると、ドーパミンという鍵ワードにたどり着く。

そして、このドーパミンをドバドバ出す方法が、依存症なのである。

前回の記事で、発達障害的な脳をもっていると依存症に陥りやすい話を書いた。依存症によって一時的になら、こうした脳の不快感や、ガッツの欠如を補うことができる。

ところが長期的に依存を抱えていると、社会生活が破綻する。アルコール依存症がわかりやすい例だ。やる気を出そうと酒を飲んで仕事してクビになったり、対人関係エネルギーを絞り出そうと酒を飲んで人と合って逆に関係を壊してしまう。

ドーパミンを自在に操って悟りの境地にお手軽に到達したい

アドレナリンをドーピングしてADHDで不活性な脳を興奮させてた

というわけで、依存症によってドーパミンを出して脳を活性化させるのは持続可能性が低い。時限爆弾である。

でも一方、ダルくて仕事や人間関係を後回しにして、8月31日から手を付ける夏休みの宿題がごとく、ヤバい状況に追い込まれてから手を付ける習性の方は、発達障害的な人が結果を出すためにポジティブに応用できる気がするのだ。

毎日を8月31日に

要するに毎日が8月31日になれば、毎日宿題できるんじゃないか、って話。

「そんなわけあるか!社会人している以上、毎日8月31日より忙しいぞ」

という声が聞こえてきそうだけど、小学生にとって8月31日は、恐怖や嫌悪のみならず、ちょっとワクワクする日でもある。夏休みが永遠に続けば良いと思う気持ちも、そりゃある。でもその一方で、新しい学校生活に期待する高揚感も1ミリくらいあると思うんだよね。2ヶ月間もゴロゴロして流石に飽きたというか。

30年以上、この「先延ばしグセ」で困り、方方から怒られまくってきたけど、でも僕はタダでは起きない。ここからある気付きを得た。

締め切り前の焦りを原動力にして、継続的に仕事で結果を出すコツは次の2つだ。

  • ワクワク感を一切含まない仕事は捨てる
  • 大きい締切がなく小さい締め切りが毎日ある仕事に転職する

このブログでも散々仕事の愚痴を言ってきたけど、その憤りを突き詰めると、僕は仕事そのものは好きだった。もちろんおカネをもらってやってる以上、大変なことはある。それでも頭と手を動かして、何もないところから文章や機能をこしらえる作業自体には、ワクワクするし、もっと上手になろうという向上心もある。

苦手かつ嫌いなのは、人間関係だった。

こだわりと情熱をもっている作業には、ひとりで、独自の手順で、一心不乱に取り組みたい。他人と協力したり、誰かが勝手に決めたルールに迎合するのは、もうたくさんだ。

つまり僕は、サラリーマンには向いていないけど、自営業者には向いていたのだ。

月給や雇用という安全保障を捨て、腕一本で食べていくのは、むしろ普通の人には恐ろしいリスクだと思う。でもその「後がない」という焦りによって、僕の場合は先延ばしグセを矯正できた。いわば毎日を8月31日にして、好きな教科の宿題だけを毎日がんばる感じ。

思えば発達障害の適職は起業といわれている。

それは、自分の思い通りの手順で、焦りをバネにした高揚感をもって、ワクワクする仕事だけで、勝負できるからではないか。

コロナに負けず2020年にオランダ移住を成功させた努力の方向性

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日常を激ヤバな冒険にする

このブログでも、さんざん日常生活の愚痴を言ってきた。

日本で上手く行かなかったことはもちろん、移住先のシンガポールでも文句ばかり。つまり原因は、環境ではなく、僕自身にある。いつもの日常っていうのが、安心ではなく脳の不活性につながってしまうのだな。

例えば新しい国に移住すると、言葉が通じなかったり、常識が違ったり、最初のうちはてんやわんやである。ところが日常単語を覚え、適切な立ち振る舞いがわかってくると、新たな「日常」が襲ってくる。

多くの人は、この安定状態でこそ、安心して暮らせるのだろう。でも僕の場合は、平凡な日常生活が始まって刺激が足りなくなると、途端に脳が不活性になり、ブレインフォグのような無気力感、不快感に襲われる。この不活性な脳みそが、愚痴の原因、不快感の原因であった。

シンガポールに移住して良かったこと困ったこと

シンガポール在住日本人で最底辺の僕が結婚願望を持ったらブチ当たる壁

ということは、仕事のみならず日常生活も、毎日激ヤバ状態を維持すれば良いのでは?愚痴を言う暇がないくらい、毎日一生懸命に生きざるを得ない状況に、自分を追い込めばいい。

そんなわけで、10年近く慣れ親しみ、愚痴が増えてきた東南アジアから離れて、勝手がわからないヨーロッパに移住した。

脱サラ独立のみならず、海外で法人立ち上げという、激ヤバ2コンボである。さらにここにコロナで経済が大パニックという、脱サラ殺しの3コンボがつながって、昨年2月の移住から、かれこれ1年以上、毎日限界までてんやわんやしている。

確かに疲れた。

でも退屈な日常に起因する不活性な脳、不快感、無気力感よりは、ずっと心地よい疲労感だ。自分が目指す道の上で全力疾走している感覚がある。

このブログで何度も引用しているアドラー心理学の名著「嫌われる勇気」に、原因論 を捨てて 目的論 に立って行動せよ、というのがある。自分は〇〇だから出来ない、と原因のせいにして立ち止まるのではなく、〇〇だけど、ではそれを踏まえてどう行動すべきかを考えよ、というわけだ。

もちろんこれは、安定の日常をぶっ壊すわけで、犠牲が伴う人生改革だ。

人との関わりが苦手で嫌いという自分の特性を諦めて受け入れた結果、社会的に孤立してしまった。それでも「仕事がデキない」「収入が低い」という積年の悩みに、根本的な解決策をみつけたので満足している。

というわけで。

  • 脳がざわついて無気力になる
  • ケツに火が付くまで仕事を先延ばしにする
  • もはやケツに火が付かず人生先細り

この原因はドーパミンが脳で正常に働いてくれないことが原因の可能性がある。そこで

  • ワクワク感を一切含まない仕事は捨てる
  • 大きい締切がなく小さい締め切りが毎日ある仕事に転職する
  • 知らない街(国)に引っ越す

ことによって、高揚感を伴った焦りを仕事と日常生活に取り入れる。リスクに全力ダイブしてドーパミンを出すわけだ。僕の場合は、この方法でとりあえず満足できる人生に軌道修正できた。