カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」を今更読んだ。
ノーベル賞を受賞した時に彼の名前を初めて知ったレベルのヘタレ読書家として、脳内積ん読リストの上の方に常にランクインしてはいたんだよね。それが今年ようやくリアル積ん読に移行して、実際に読むまで4年近くかかってしまった。
いや〜、衝撃である。
これならノーベル賞くらい取れるだろうという衝撃。
彼の作品をもっと読みたくなって、カズオ・イシグロご本人が自信作と言う「充たされざる者」を書評も確認せずにポチってしまい、今は1000ページもの果てしない夢の中で迷子になっている(=^・・^;=)
外国人技能実習制度
「わたしを離さないで」は、おそらく20世紀後半あたりが舞台だろうSF小説だ。携帯電話とか登場しないけど、その他の設定は概ね現代社会と同じ。
では何がSFなのかというと、人権を制限された下位階級が存在し、上位階級のために人生を捧げることを生まれた時から運命づけられているのだ。
この架空の社会制度のもと、自己犠牲を強いられる下位階級たちが懸命に生きる様子と、それを「支援」しようとする一部の上位階級たちの人生模様を描くのが本作である。
これって外国人技能実習制度じゃないか(=^・・^;=)
読み進めるうち、この物語は現代社会の人権格差を風刺しているんじゃないかと思い始めた。
格差社会といった場合、お金の有る人と無い人で、受けられる待遇が異なる社会を意味する。でも格差のパラメーターはお金だけで、原則としては同じ人間だ。例えば、貧乏人が宝くじに当たるとか、金持ちが騙されて路上生活に堕ちるみたいな階級の変更が、ごく稀なケースだとしても、実際にあり得る。
それはお金の有る無しに関わらず、法律上、少なくとも建前では「平等な人間」として扱われているからだ。
ところが最近の格差は人権のレベルにまでおよび、例えば外国人技能実習制度で日本にやってきた人には、日本人と同じ人権が認められていない。最低賃金みたいな労働基準法が適用されないのはもちろん、結婚や子供をもうけるといった生命活動レベルの権利も剥奪されている。
ちなみに僕は日本を批判したいのではない。同様の制度を持つ国はたくさんある。
例えばシンガポールでは一般家庭でもメイドを雇う。主にフィリピンやインドネシアから来た女性が日常の家事を担っているわけだけど、結婚する権利は当然無いし、定期的に専門の医療施設に行って妊娠していないか検査を受ける義務を負う。妊娠という超プライベートまで雇い主と国家が管理するというのは、なかなかの人権侵害だと思う。
なお、祖国でもメイドの扱いはなかなか酷い。
彼女らはフィリピンやインドネシアのド田舎出身であることが多い。そしてマニラやジャカルタ近郊の中産階級の家庭にメイドとして雇われ、その境遇から海外遠征の切符を手にしたメイド界の「エリート」でもある。
当然本国では結婚して子供をもうける権利を持ってはいるけど、たとえ家族を持っても一緒に住み込み労働はできない。だから家族は遥か遠くの実家に残し、会えるのは年に1度とか。
それならシンガポールや中東産油国に出稼ぎに行っても「二等市民」の扱いは変わらず、給料だけが何倍にもなるというわけだ。
偽善的なズレた「支援」が格差を固定する
基本的人権を剥奪され、二等市民として扱われても、その仕事に就くしかない経済状況にある人たちが、この世界にはたくさんいる。そしてつまるところ、日本の外国人技能実習制度や、シンガポールのメイド制度は、そうした現実に合わせて制定されたに過ぎない。
従ってこうした制度を廃止したとしても、新興国の貧困層が仕事を失い、世界に更なる貧困を産むだけ。
本当にそうだろうか。
日本で働く外国人技能実習生を多く輩出しているのがベトナムである。ベトナムでは高校を卒業しても月給が2万円とかなので、たとえ実習生の給料でも日本で働く方がまだマシなのだ。
家畜を盗んで解体までしちゃうベトナム人。実習生が悪行を犯すたびに、受け入れ企業の劣悪な労働環境が批判される向きがある。
だけど彼らを受け入れる日本企業の中には、名目通りにちゃんと「実習」を施している事業者も多いらしい。僕がベトナムに沈没してフリーランス修行していた時、そんな話を聞く機会があった。
ベトナム国内に日本語学校を兼ねた職業訓練施設を作り、日本での暮らしと業務に必要なスキルを身につけてから招聘しているらしいのだ。
すごい(=^・・^=)♬
この話を聞いた時、最初の5秒くらいは暖かい気持ちになったのだけど、10秒経つ頃には頭の中にモヤモヤが広がっていった。
学校まで作って専門スキルを身につけるというなら、正規の労働ビザで招聘して日本人と同じ正規の給料を支払うべきなのでは(=^・・^;=)
「わたしを離さないで」の物語にも、下位階級を支援して待遇を改善しようと尽力する人たちが登場する。でもあくまで待遇改善だけで、上位階級に人生を捧げねばならない人権格差の本質を変えようとはしない。
上位階級にとって都合がいい「支援」を偽善的に施すことで、人権格差の固定化にむしろ貢献している節がある。
結局、外国人技能実習制度を利用している限り、労働基準法や最低賃金法で定められた正当な給料を支払うことから逃げている。その結果、同じ仕事をしていても、日本人とベトナム人の格差はどんどん広がっていく。
「支援」の美名の元で搾取に便乗し、格差の拡大と固定に貢献している。それは搾取によって生み出されたモノやサービスを享受している僕ら「上位階級」も同罪だ。
資本主義の「次」はどこに
欧州諸国は伝統的に階級社会だと言われる。
僕が住んでいるオランダでも、本来なら高校生くらいの年齢と思われる白人の青年が、親方らしきおっちゃんの指導を受けながらレンガ組みの古民家を修繕している光景に出くわす。オランダの家は築100年越えが当たり前なので、みんな古民家みたいなもんだ。AIやドローンの時代になっても、こうした熟練工の需要は存続し続けるのだろう。
ところが、欧州の伝統的な階級社会は、士農工商が洗練されて現代に残っているみたいな、美しいものではなくなっている。
元来、労働者階級、ブルーカラーは、独自の文化と誇りを持って伝統を積み上げてきた。そして例えば英国では、オアシスのギャラガー兄弟や、サッカーのベッカムみたいな世界的ヒーローを生み出してきた。
ここにグローバル化がやってきた。
正当な賃金を払わなくてもストライキしない、新興国からやってきたハングリー精神あふれる新しい労働者階級は、自国民の伝統ある労働者階級から存在意義を奪ってしまった。
労働者階級の英国人と結婚したブレイディみかこ氏の著作「労働者階級の反乱~地べたから見た英国EU離脱~」を読むと、安定した仕事と尊厳を奪われ、もはや芸能やスポーツですらスターを輩出できなくなってしまった労働者階級の反動が、ブレグジットに繋がったということがわかる。
でもブレグジットして新興国の貧民層をイギリスから追い出しても、英国の労働者階級が復権する日は来ない。資本主義に基づいて企業経営するならば、その仕事を英国から引き剥がして、新興国の貧民層がいる町に工場を移設するまで。
人材の焼き畑である。
資本主義を維持するためには、強烈な格差が必要不可欠。さらに資本主義を発展させるなら、経済格差だけでは足りない。人権のレベルで人間に格差をつけていかないと、このままの形で経済成長を延命できないところまで来ている。
産業革命以来、近代化に貢献してきた社会システムは、その椅子からこぼれ落ちた人から最低限の人権さえも奪い取る脅迫装置になってしまった。
共産主義は成立しないことが歴史によって証明され、グローバリズムもEUの試みとともに破綻しつつある。このままでは虐げられた人々の鬱憤を一時的に晴らすだけの、全体主義や民族主義が再び台頭しかねない。
人権を剥奪されるレベルで格差が広がった社会は、全員の幸福を奪う。資本主義に変わる社会システムが必要だ。