オランダに入国したのが去年の2月。そこからアレよアレよとコロナが猛威を振るい、結局1年4ヶ月もオランダから一歩も外に出ていない。
1つの国にこんな長く滞在したのは、ここ10年で初めてのことだ。
それで思うのだけど、オランダって娯楽が少ない(=^・・^;=)
というか、逆にアジアの大都市に娯楽が多すぎる。
具体的にはお金を払って所定の「楽しさを買う」ような、ディズニーランド的サービスが街に溢れている。カラオケ、ゲーセン、スーパー銭湯。雨でもお台場に行けば屋内でスポーツだってできる。お台場といえばトヨタの高級車を300円で試乗できるMegaWeb、子供がいるなら日本科学未来館、ジョイポリスという選択肢もあるな。
こんな風に、多かれ少なかれアジアの大都市では、自分の興味や家族構成によって条件に合った「楽しさを買う」ことができる。そういうサービスが街に張り巡らされている。
一方、オランダはというと…。
安直な楽しさを売ってくれる施設が少なく、最大の娯楽はスポーツなんじゃなかろうか。
もちろんインドア派オランダ人もたくさんいる。目下現地で唯一の友人である公務員ちゃんがまさにお家大好きの運動嫌いなんだけど、するとNetflixとレストラン巡りくらいしか日常の楽しみがなくなってしまうようだ。
逆に運動環境は超充実していて、まず自転車専用道路フィッツポッドがある。当初はフィッツ「パ」ッドと綴り通りに読んでいたんだけど、ネイティブオランダ人に全然通じない。オランダ語ムズイ…。
そんなことはどうでもいいとして、フィッツポッドを走るのは自転車だけじゃない。僕みたいにローラーブレードで爆走している人も増えているし、中華電動キックボードとか、中華電動スケボーとか、邪道なのもいる。
あとオランダにはスポーツジムがたくさんある。
日本やシンガポールのジムみたく洒落た施設ばかりでなく、倉庫や工場跡を改装して中古のトレーニング機材をかき集めた感じのも多く、手作り感が溢れていて安く利用できる。そんな筋肉愛に向き合う漢の聖地がししもんの巣の近所にもチラホラあるので、僕もムキムキライオンになろうかしら(=^・・^=)♬
なにしろ来月にはロックダウンがついに終わるらしいのだ。
他にも水泳、テニス、サッカー、あとなんといっても乗馬という実にオランダらしいスポーツも一般的で、お子様の習い事の定番になっている。
アジア基準だと娯楽が少ないけど、身体を動かす楽しみに目覚めればオランダには必要な施設が充実している。人口が少ないのにオリンピックで活躍できるのも納得だ。
チームスポーツも独りで練習すると楽しい
などとオランダのスポーツ事情について語ってきたけど、元来僕はガチガチの運動嫌いである。
というか、純粋に身体を動かすことよりも、スポーツという概念、そしてスポーツやってる種類の人間どもが、大嫌いだった。
その原因を突き詰めると、学校の体育の授業が諸悪の根源。体育の授業と体育教師は今でも憎悪の対象。今すぐ滅びてほしい。
バルス(=^・・^#=)!
というのも、体育の授業では運動技術を具体的に指導することを放棄しているし、体育教師は軍隊的規律と根性論を押し付ける暴力装置と化している。
例えば子供の頃、僕はサッカーボールを上手に蹴ることが出来なかった。動いているボールの進路を予測して、自分の脚をタイミングよく出すというのは、おそらく一定の脳の発達が不可欠なのだと思う。
さらにサッカーの試合でボールをもらえる位置に移動する、という概念を理解できなかった。
それにも関わらず「そんなところに突っ立ってんじゃねぇ!」と怒鳴るだけの無能教師ばかり。自分の身体の制御とは別に、味方と敵の位置を常に把握し続けないとサッカーできないのだという事実を、言葉で教える知能を持った体育教師は90年代の東京多摩にはいなかった。
そんな運動嫌悪の僕がスポーツに目覚めたのが、シンガポールで始めたテニスだった。
テニスというか、独りで黙々とやる壁打ち練習にハマったのだ。
テニスというとリア充の悪行くらいの認識だったんだけど、実は独りで黙々と壁打ちする練習量が、腕前を大きく左右する。テニスコートできゃーきゃーリア充するだけの人たちは、僕の上達にどんどん追い抜かれていった。
独りで黙々と取り組むのが得意な僕の特性をスポーツに活かす方法を発見してから、僕は外に出て身体を動かすのが好きになった。みんなと協調して一緒に楽しく過ごす能力は、スポーツする上で不可欠ではなかったのだ。
スポーツは過去の自分との戦い
自分で運動するようになってからも、スポーツ観戦には一切の興味がない。というか、相変わらず嫌悪している。
例えばオリンピックやワールドカップ。
昔は民族同士の代理戦争みたいな側面があったのかもしれないけど、これだけ移民が増えて、民族の国、生まれた国、住んでいる国が全部違う場合もあり得る時代に、国家の単位で戦う意味って何だろうか。
二重国籍を持って生まれた若い選手が成人して一方の国籍を選択した場合、普段暮らして練習している国と、大会で背負う国旗が一致しないケースも増えている。さらに有力な外国人選手に一時的に国籍を与え、報奨金でメダルを買うような裕福な国もある。
意味なくない(=^・・^;=)?
そもそも、勝ち負けにこだわる必要がないのが、スポーツの魅力なんじゃないだろうか。
この世は負けられない戦いで満ちている。受験や出世競争に負けると自分の人生がストレートに貧しくなる。そこまで直接的な戦いでなくても、若くしてマンション買ったとか、美人と結婚したとか、三十路も後半になると子供のお受験が親の代理戦争になっているような話も聞く。
かくも人間とは関係ない他人と無駄に比較して、一喜一憂してしまう生き物なのだ。
一方、スポーツの勝ち負けは本来その場限り。一緒にテニスして楽しい時間を過ごせれば、買った負けたは打ち上げのネタ、オマケみたいなもんだ。何かと他人と比較して卑屈になりがちだからこそ、勝っても負けても自尊心に影響しないスポーツの戦いには癒し効果があると思う。
それなのに国旗とかスポンサー広告をペタペタ貼り付けて「負けられない戦い」とか煽ったら、スポーツの魅力が台無しだ。プロスポーツやスポーツニュースを見ると惨めな気持ちになるので、できるだけ視界に入れないようにしている。
スポーツ観戦はメンタルに悪い。
僕にとって身体を動かす楽しさとは、過去の自分との闘いなんだよね。昨日の自分より、もっと上手になるために練習すると、他では得られない充実感に浸れる。
さらに独りで黙々とやるタイプの練習は、必然的に反復動作が多くなる。するとエンドルフィンやドーパミンのような癒し系の脳内ホルモン、さらにBDNFという脳細胞を増やす物質が分泌されるらしく、メンタルの維持と仕事の能率向上にも効いている感がある。
多分、このブログの読者さんや、検索でたどり着いた人は、僕と同じように内向的性格の持ち主だと思う。
このように内向的な性格であっても独りで黙々と自分のペースで身体を動かせばメリットを享受できるので、時代遅れの体育教育と無能な体育教師のせいで卑屈になってしまった意識を克服し、独りでスポーツを楽しみましょうぞ(=^・・^=)♬