オランダは日本と同じ北半球に位置するので、冬になると夜空にオリオン座がはっきり見える。たぶん数ある星座の中で一番見つけやすいんじゃないか。
オリオン座を構成する明るい星、リゲル、ペテルギウス。その左側にはひと際明るいシリウスと、冬の大三角形。
日本の義務教育ってのはなかなか侮れない。今でも三ツ星が視界に入ると、反射的にこれらの知識がフラッシュバックしてくる。そして何かがフラッシュバックしてくると、僕は所かまわずボソボソと独り言が出る。
「なんだそれ?」
サウナ仲間のアブに独り言を聞かれてしまった。
100℃近い部屋にヒーヒー言いながら耐えるなんて。アンチからすると理解できないだろうけど、冷水浴からの外気浴こそが、サウナの醍醐味なのだ。
ここはスポーツジムに併設された、いわばオマケ的なサウナにもかかわらず、そこら辺の「ととのい」事情を施設管理者がよくわかってくれていて、ジムのテラスにはリクライニングベンチがずらっと並べられている。
だから雲のない夜にサウナで蒸されてからこのベンチに寝そべると、それはそれは贅沢な星空を楽しめるのだ。
ああ、独り言だよ。あそこに見えるオリオン座の星の名前さ(=^・・^=)♬
「星座?君は星が好きなのか?」
まぁ、好きだね。もう知識がだいぶ抜けてしまったけど。
「あれらは…ずっとあの位置にあるのか?」
はっ?えっ?星はずっと動かないのかって意味(=^・・^;=)?
「うん、星っていつも同じじゃん」
いやいやマジかよ、基本的に今見えるすべての星はこっち(東)からこっち(西)に意外と速く動いてる。地球が自転してるからね。さらに太陽の周りを公転してるから、オリオン座は来月には地平線に沈んで見えなくなる。でもあの月と、あの星(金星)は例外。東から西への動きだけじゃなくて、公転の動きも微妙に混ざるから月と金星は複雑なんだ。
「そうなん?でも、もし星が動いたら星座が崩れるだろう?」
アッチョンブリケ(=^・・^;=)!!!!
その後、月と金星を除く、今見えているすべての星は太陽の兄弟みたいなもんで、核融合して自分で光ってる。月と金星みたいに光を反射するだけの星も視界にたくさん存在するハズだけど、あまりにも遠すぎて自分で核融合してない星は見えない。そういう見えない星には地球みたいなのがあって、宇宙人がワチャワチャ住んでるかもね。どうせならモフモフアニマルだったらいいな(=^・・^=)♬
なんて、僕が子供のころに(実は今でも)ワクワクした話を聞かせたんだけど、そしたら彼はこう言った。
「神は偉大だな」
アブは年収3500万円のネットワークエンジニアである。
時給2万円。馬鹿でないのは当然のこと、シスコ最難関のベンダー資格を持ち、4ヶ国語でビジネスを運営しているのだから、むしろ天才の域に入るだろう。
なのにどうしてどうして。
頻繫に「えー!」っていうレベルの知識が抜けている。まだ出会って半年なのに、僕はかれこれ20回はズッコケただろう。
今回は地球の自転と夜空の動きの関係を知らなかった。太陽系や地動説を知らないシャーロックホームズみたいだ。
その度に、僕とは根本的に異なる彼の認知方法について、いろいろ考えを巡らせてきた。で、その結果、彼の頭脳の根幹には「信仰」が機能しているのだという結論に至った。
イスラムの幸福像
アブは人を褒めるのが上手だ。
とくに家族や友人など、身近な人たちの良いところを見つけて、何度も何度も丁寧に褒める。
そういう彼の称賛話に一番頻繫に登場するのが、彼の奥さんである。彼女がいかに自分を愛していて、そんな世界一の女性を幸せにするために自分がどれだけ奥さんに尽くしているか。
ここまで奥さんを褒められるのだから、そりゃ子供がじゃんじゃん産まれるわけだ。日本は子供手当の額などで揉めてないで、男女とも自分のパートナーを褒める教育をした方がいいと思う。
でも…。
実際に彼の家を訪問して家族を観察しても、アブの奥さんが本当に幸福なのかどうか、いまいち確信を持てない。まぁそんなんだから僕には彼女も子供もいないのかもしれなけど(=^・・^;=)
というもの、まず僕は彼女の姿をちゃんと見たことがない。家族以外の男性の前に姿をさらさないのは、中東や南アジアに住むイスラム教圏の女性には一般的である。
だからパキスタン人である彼女は、お客が来ても団らんに加わらず、当然のように裏方で家政婦のごとく食事や飲み物を準備することになる。僕が行くと彼女を黒子として働かせてしまうので、なんとなく最近は訪問を躊躇してしまう。
そして彼女はたぶん、初等教育すら受けていない。
アブとの連絡はすべて電話で、アブが奥さんとメッセージアプリでやりとりしているところは見たことがない。さらに子供たちがファストフードをねだると、宅配アプリでの手配なんかも旦那であるアブにお願いしている。
もしかしたら奥さんは文字を読み書きできないんじゃないか。
この疑念をやんわりとアブに尋ねると「パキスタンの女性はきちんと教育を受けないのが普通だ」と、奥さんが文盲であることを暗に認めた。
オランダ語はもちろん、英語もまったくわからないとなると、オランダで友達をつくるのはまず無理だ。そのうえ母国語(パシュトゥン語)の読み書きも微妙となると、本やインターネットから興味ある知識を得ることも難しくなる。
親が選んだ相手とは言え高収入の男性と結婚し、イスラム過激派タリバンが闊歩するパキスタン北西部の砂漠の村から、先進国オランダに移住。
この条件からすると幸福に感じるけど、実際は異国オランダで家族以外と意思疎通ができず、趣味に逃避することもできない。家から一歩も出ず、子供を次々と産み、育て、旦那の身の回りの世話をするだけの毎日。
これがイスラム女性の幸福像なのかと、最初僕は胸が詰まった。
考えること、信じること、幸福になること
『ソフィーの世界』という有名な哲学の子供向け入門書がある。僕が初めて英語で最後まで読み通した本だ。
膨大な時間をかけて最後のページをめくったとき、これで「原著」ってヤツで外国作品を味わえたんだ!と大層な感慨に浸ったにもかかわらず、実は著者のヨースタイン・ゴルデルさんはノルウェー人で、当然ノルウェー語で原著を書いている。僕はわざわざ苦労して英語の翻訳版を読んだのだと知ったのは、それからずいぶん経ってからだった。
洋書=英語!くらいの認識しかなかった当時が懐かしい。
宗教と哲学の違いについて、『ソフィーの世界』では次のように説明されていた(と思う)。
自分はなぜ生きているのか。この先、どう生きるべきか。この世界はどこからきて、今後どこへいくのだろう。こういう問いを、人々は多かれ少なかれ考えながら生きている、ということに哲学や宗教の界隈ではなっている。
これらの問いに、人類は絶対的な回答をまだ発見していない。
そこで、ひとつの可能性を与えるのが宗教である。
あなたも私もすべて神様が作った。今後私たちは神様のお導きに従って人生を進めていく。この世の中も神様が作ったし、今後世界は神様の一存によって進んでいくだろう。というように。
一方哲学は決定的な答えを求めず、ああでもない、こうでもないと、命尽きるまですべての疑問を考え続ける態度である。
アトムだ、イデアだと騒ぎつつ、結局この世は神様が作ったと考えていたギリシア哲学から、発達障害のニーチェ様が発狂しながら神を殺し、最近では138億年前のビックバンで空間と時間と物質が生まれたことになっているけど、その数式を完全に理解できる人間は世界に数人しかおらず、4000年の思索を無駄にして結局ちゃんと誰もわかってない状態に逆戻りしている。
面白い(=^・・^=)♬
『ソフィーの世界』を読了したとき、僕は宗教に逃げず、生涯かけて世界を考え続けようと強く誓ったものだ。
ところが、自分の頭で考えて、自分の人生を切り開いてきたにもかかわらず、僕が幸福かというと自信をもってうなずけない。
満員電車でうんこ漏らしていた日本のサラリーマン時代よりは確実にマシだけど、とにかくこの世の理解不能なことは日々増えるばかりで、脳みそは加齢とアルコールでグチャグチャになり、このまま幸福とは何かを考え続けても幸福になれる気がしない。
そんな状況で、アブの思考はとても興味深い。
イスラム教では幸福な人生の「規範」が明確に定義されている。実際に全員もれなく幸福になれるのかどうかに関係なく、これが正しい人生です、こういう人生が幸福なのです、と事細かにハディースという書物にまとめられている。
客観的な現実は違っても、間違いなく幸福そうなアブを見ていると、理解できないことを自分で考えないことこそが幸福なんじゃないかと思えてきた。
一生懸命に労働し、稼いだカネを弱い人のために使う。理由はない。神様が決めたことだ。わからないことはたくさんあるけど、すべては神様が綿密にマルっと上手く設計しているのだから、絶対大丈夫。考えなくていい。
思えば日本でも、幸福そうに見える人は上手に「規範」を信仰できていると思う。なぜ満員電車に揺られて仕事するのか、なぜ結婚するのか、なぜ子供を育てるのか。それは「規範」であり、規範を満たしているのだから自分は幸福に違いない。
生まれ落ちた社会の「当たり前」を信仰して、あまり深く考えずただ従っているだけの人が、一番幸福に見える。
考え抜いて行動した結果流れ着いたオランダの夜空を眺め、出会って半年の友人と話しながら、また僕はこんなことを考えてしまった。まだしばらく幸福になれる気がしない(=^・・^;=)