周りのみんなが難なく普通にやっているように、僕は他人を愛することができない。
まぁ誰かを愛せなくても別に大きく困っていないのだけど、鬱病と不眠症を(マリファナで)克服した今、次に取り組むべきは愛着アプローチだろうと。
それで愛情ホルモン「オキシトシン」で駆動する脳の神経回路について調べていたら、面白い文献にたどり着いた。
なんでもヒトの幹細胞を培養して人工脳「脳オルガノイド」を作成したら、人間と同じような脳波を検出した。そして不完全ながら意識が芽生えている可能性があるので、倫理的な観点からその実験は中止されたという。
実験室で新たなヒトの意識を発生させるのは倫理的に問題がある。しかし、ヒトの子宮で新たなヒトの意識を発生させるのは、むしろ国家によって奨励されている。
謎だ。
でも我ながら、なにが謎なんだ。モヤモヤする…。
と、さらにネットを彷徨っていたら、反出生主義という考え方にたどり着いた。
普通の倫理観では、幸福を最大化するのを良しとする。たとえ苦労や苦痛がともなっても、それを乗り越えて大きな幸福を手に入れるのが良い人生であると。
ところが反出生主義では、苦労や苦痛を最小化することを良しとする。すると、そもそも産まれてこなければ苦痛を感じようがないのだから、最初からこの世に存在しないことが最良の状態ということになる。
トンデモ理論に聞こえるけど、ショーペンハウアーとか名の知れた哲学者も主張する考え方であるため、論理基盤が強固で簡単には論破できないらしい。
科学者が勝手に意識を発生させる脳オルガノイドに倫理的問題があるなら、苦労や苦痛を味わうことを前提に親が勝手に意識を発生させる子作りにも倫理的問題があるんじゃないか。
なんだか、めっちゃ腹落ちした。
僕はぜんぜん子供が欲しくない。
11年前は鬱病アル中無職だった僕も、今や30代日本人男性の平均年収を軽く超えている。だからオランダで1人くらいなら子供を持てる経済力はあるのだけど、そうする理由がまったく見つからないばかりか、子供を持たない理由ならいくらでも出てくる。
その1つが「子供が哀れ」というものだ。
事実はどうあれ、僕はかなり苦労して今まで生き延びてきたと自認している。改善しようと努力を続けているけど、この苦労は今後も死ぬまで続くだろう。ただ、自殺するのは人生に耐えるより苦痛だし、周りの人たちにも迷惑をかける。
でも今この瞬間に最初から存在しなかったことにできるなら、それはとても甘美な選択だ。もし最初から産まれてこない選択肢があるなら、迷わず今すぐ選択するだろう。
これもトンデモな考え方に聞こえるけど、多くの国で女性は学歴と年収が上がるほど、子供を産まなくなる。
逆に男性は学歴と年収が上がるほど子供を持つ割合が大きくなるのだけど、それは学歴と年収が低い男性は女性から選ばれないのと、男性は言わば「ヤリっぱなし」で子供を持てるからではないか。
一方で女性は出産に文字通り命をかける必要があり、さらに無事に出産しても、事実上、大部分の育児を女性が担当することになる。
だから女性のほうが「子供をつくるべきか」を真剣に考えるとハズだ。自分の命をかけて、さらに人生を犠牲にしてでも、子供を持つべきか否か。
そして賢くて独りでも経済的に暮らしていける女性ほど、熟慮の結果「子供は要らない」という結論に至るわけだ。
逆に言えば、職業能力に劣り、自分の経済力で自分すら養えない女性が、言わば生き抜くために男性の経済力に頼り、その結果として子供が産まれているというのが、この世の残酷な現実なのではないだろうか。