ミニマリストを標榜している。
思えば11年前に日本でサラリーマンしてた時は常にモノが多かった。そこから一念発起してミニマリストを目指したわけではなく、家を引き払って世界を放浪するうちに、自然と持ち物が減っていった感じ。
最初は実家に家財道具などを置かせてもらってたんだけど、何しろバックパック1つで何か月も暮らしてから、たまに帰国して僕の日常をかつて彩っていたモノたちを眺めても、「もう使うことはないな」という感情しか沸いてこなくなった。
だから、いわゆる「断捨離」に苦労したことはない。思い出の品を写真に残すこともなく、実にサッパリと手放すことができた。
いつまでも実家に迷惑かけるのも気が引けるしね。
ただ、3畳の激狭シェアハウスで借りぐらししていたシンガポール時代ならいざ知らず、今住んでいるオランダの賃貸は築120年のオンボロながらリビング20畳、寝室6畳はある。
つまりオランダに定住した今でもミニマリストを続ける理由はない。コロナからの気付きにより、もう放浪生活に戻るつもりはないので、家財道具を増やして便利で快適な暮らしに戻ってもいい頃合いだ。
そんな折、ジムで一緒に筋トレしているイスラム ゴリラたちとIKEAに行く機会があった。
ゴリラAの車で行ったんだけど、全員ガチムチ兄貴なので車内が狭いったらありゃしない。それに加えて僕以外が全員腋臭。
そんな、IKEAに向かうなんとも過酷な道中では、正直、ソファーくらい買ってもいいかなと考えていた。
たまに家に遊びに来るゴリラBからも「お前んちは座る場所すらない」と散々苦言を頂戴していたし、僕自身も何もない部屋に不便を感じつつあった。
でもIKEAに到着して、迷路みたいな通路を右往左往し、ソファーのセクションに足を踏み入れた途端、フラッシュバックに襲われた。
フラッシュバックとは、今の現実と何の関係もない昔の記憶が、前触れもなく突然頭を支配してしまう症状だ。僕の場合は当時のカラー映像が視界をジャックして、場合によって音や声も聞こえる。
うっ…。
「お前またチック症かよ~」
ゴリラAがからかってくる。腋臭のくせに余計なお世話だ!
しかもチック症とフラッシュバックは違う。僕は両方とも症状を抱えているから違いがよくわかる。
脳のこめかみの辺りに異物を詰められたような不快感があって、首を縦に振る振動で異物を取り除こうとする行為。これが僕のチック症。異物の不快感を我慢するのは、床屋で顔がかゆいのを我慢するのと似た苦労がともなう。
一方でフラッシュバックは、身体的な感覚は関係なく、ランダムな記憶の扉が意図せず突然に開いてしまう感じ。
だと思っていたんだけど、ソファーを見て発生したフラッシュバックは、まさにソファーに関する記憶だった。
母親が買ったソファーの組立を手伝った後、工具を革張りのソファーの上に放り投げて傷をつけてしまったのだ。当然、母親から滅茶苦茶怒られた。僕だってソファーの上に工具を放れば傷つくことくらい理解できる。何でそんな当然のことを考えずに行動してしまうのか。酷い自己嫌悪に陥った。
今まで関係ない記憶がランダムに襲ってくると思い込んでいたけど、このソファーの件でフラッシュバックには必ずトリガーがあることに気付いた。
ソファーを見てソファーのトラウマが再生されるほど直接的ではないにせよ、たとえば昔の彼女にレストランでキレられた記憶が、当時の店内でかかっていた音楽を偶然耳にしたタイミングで襲ってくるとか、本を読んでいて主人公と教師の会話がトリガーになって、かつて自分が学校でやらかした失敗を思い出したり。
10年以上もソファーがない環境で暮らしてきたおかげで、意図せずにソファーの記憶から解放されてきたのだ。ということは、今後もミニマリストを続けることで、フラッシュバックを発生させるトリガーを生活から排除できる。
これは大きな気付きだった。
もっと深く観察してみると、特定の曲が特定のフラッシュバックに結び付いていたり、特定の行動(映画を見る、床屋に行く、学校や教師の存在を意識する、ネットニュースを見る)で特定のフラッシュバックが出ることが判明した。
映画、床屋、学校、教師、レストラン、ネットニュースが嫌いなのも、フラッシュバックのトリガーになることに無意識に気付いていたからなのだろう。
これからは、映画、床屋、学校、教師、レストラン、ネットニュースが大嫌い!ではなく、フラッシュバックの原因になるから避けてます、って説明しよう。これで周りの人たちに与える印象を、少しは改善できるような気がする。