Twitterの崩壊に思うこと

スマホ全盛期は楽しかった。

次々と新しい機能が追加され、それを活用した新しいサービスが登場した。

たとえばスマホにGPSが搭載されたことで、素人でもタクシー業を営めるようになり、数回のクリックで好きな食べ物を自宅に届けてもらえるようになった。シンガポールの米系企業をクビになったあと、僕と同じように失職した元同僚たちをSNSで追跡したら、数人が配車アプリに登録してタクシー運転手になっていた。

つまり、もはや鬱病に耐えてまで不本意な仕事にしがみつかなくても、さっさと退職して自営業のタクシー運転手になれば問題なく暮らせるようになったのだ。

他にも、1 度目のインド旅行では騙されたりリクシャ運転手と怒鳴りあったりして、もう2度とこんな糞尿帝国に来るもんかと思ったものだけど、2度目のインド訪問ではGoogle地図と配車サービスで、そうしたストレスの9割が解消していた。(相変わらず劣悪な衛生管理には閉口するが)

自動運転、ドローン、仮想通貨、VR。

この勢いでテクノロジが進化したら、10年後には、まさにドラえもんとかハイペリオンで描かれた未来が到来するのではないか。スマホ全盛期には、新しいガジェットを手に入れて最新のアプリをインストールする度に、そんな期待感に胸を躍らせたものだ。

ところが、そうしたサービスは労働条件を悪化させ、働く人の尊厳を棄損した。最新テクノロジは、いわば人材市場の焼畑農業だったのだ。外国人と見るや5倍の運賃を吹っかけてくるインドのリクシャ ワーラーも、この巨大な情報空間に手足を縛られた歯車のひとつにおちぶれた。

別にインドのリクシャ ワーラーなど煮ようが焼こうがどうでもいいのだけど、問題はそれだけじゃない。

今や全員のポケットにカメラが準備され、その場の雰囲気で気軽に発した一言がソーシャルメディアで拡散される。そんな新しい日常は、人と人との関係性を危険なリスクに貶めた。

インターネットは真偽にかかわらず、声の大きな意見を増幅する。

誰でも言いたいことを言える場所が用意されたことで、逆に誰も言いたいことを言えない社会が出来上がった。もちろん今でも発言することは可能だけど、炎上の報いを受ける過程がここまでマザマザと可視化されてしまうと、知性を備えた多くの人は口をつぐむ方が得策だと判断するだろう。

なんとも皮肉な話だ。

僕は5年前にTwitterアカウントを削除したけど、2023年にイーロンマスクがTwitterを滅茶苦茶にしたことで、自由で不自由な言論空間に、そしてインターネットそのものに疑問を訴える人が増えた。

フォロワーが何万人いても、僕らはしょせん、大衆を構成するつまらない1人にすぎない。

そんな詰まらない人間が「いいね!」を求めて奇抜な行為や発言を拡散したところで、その言論を支えるプラットフォーム自体が、突然変質してしまう可能性がある。フォロワーが何万人いたところで、その影響力で何万円稼いだところで、そのサービス自体の価値がわずか数か月のうちに意味消失してしまう。

我々は情報化社会の歯車ではない。尊厳を持った命ある生き物だ。

「まだTwitterなんてやってるの!?」という時代が突然やってきたことで、インターネット空間で目立つことが、いかにリスクに満ち、いかに本質的に無意味であるかを、世界中の人たちが具体的に気付いた。これは画期的な出来事だ。

そういう意味で、僕はイーロンマスクを支持している。